メッセージ(大谷孝志師)
燃え尽き症候群にならない
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2021年7月11日
ピリピ3:12-16「燃え尽き症候群にならない」 牧師 大谷 孝志

 後期高齢者になり、新型コロナウイルスワクチンの二度目の接種を終えた。コロナ感染が始まってから、一度も礼拝、集会を休むこと無く奉仕を続けられて来た。接種後の副反応は二日、肩に違和感があっただけで、順調に過ごせた。主の守り導きに感謝。とは言え、テレビを見ていて、俳優の名前が出てこなかったり、祈っていて兄弟姉妹の顔は浮かんでも、名前が出てこなかったりする。さすがに年かなと落ち込む時もある。年に応じた生き方を改めて考えさせられる今日この頃。

 パウロはこの手紙を書いた時、私より一回り以上若かったと思われる。当時では老齢に達していたと思われるが、今日の御言葉は前向きで若々しく力強い。

 自分が完全だと言える人は殆どいないと思う。誰もが不完全。しかし不完全な人間には二種類ある。不完全だからどうせできないと思い、諦める人。不完全だから完全を目指して頑張る人。私達はどちらか。パウロは自分が不完全と知る。善を行おうと思っても悪を行い、悪はすまいと思ってもしてしまう自分だから。自分が良いと思う事をし、或いは、良い事を人に勧めても、自分の思いや行為が他人に正しく評価されないことも知っていた。誰でも時々経験することでは。

 初代教会の人々も私達と同じ人間。不完全な人の集まり。でも、それで諦めて引き下がっていたかと言うと決してそうでは無いことが聖書を読むと良く判る。殊にロは積極的。しかし自分に自信があったからではない。思う通りにできたからでも、がむしゃらにしていたら何とかなったからでもない。自分が不完全であることは百も承知。彼の積極性はどこから来たのか。彼は目指して走るべき目標をしっかりと知っていたから。何事においても、目標の或る人と無い人では生き方が大きく変わってくる。目標が有ると、張りがあり、生き生きしている。

 確かに目標は大切。目標は高い方、大きい方が良いと言う人もいるが、今、礼拝出席百人教会という目標を掲げることは良いことかも知れないが、「過ぎたるはお及ばざるが如し」で、疲れ果ててしまい、絵に描いた餅に終わるかもしれない。パウロは何故走り続け、大きな成果を得られたのか。人々の救いという目に見える成果で無く、彼自身の救いだったから。その目標をしっかりと持ち、それを目指していたから、疲れず、走り続けられたと思う。伝道は「相手を救う為にするのではなく、自分を救って頂く為にするもの」結果的にしても救って頂けるだけ。

 パウロは、自分は大人だと思う人は、成長が必要な子供と自分を考えよと言う。一見矛盾した言い方。これを言い換えると、「バプテスマを受けて救われた人は、救われることを目指して生きなさい」に。キリスト者になると救われるのは事実。神から見れば完全な者だから神はその人を受け入れ神のものとする。しかし人としては完全な者ではなく、成長の途中。75歳を過ぎても不完全。一生、幾つになっても、人は主に従って行こうという意思と努力が必要。1:6でパウロは「キリスト・イエスの日が来るまでに それを完成して下さる」と言う。だから主を信じる者は、達成感は持たなくてよい。勿論私達は「富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得て』いる。そして「自分達の労苦が主にあって無駄で無いことを知っている。」主は私達をしっかりと捉えて、共に歩んでくれる。それに、私達の目標はくるくる変わり、泡のように消える目標では無い。一生を掛けて追い求める「自分の救い」という目標。それぞれの死ぬ迄の人生を、その目標を目指して、燃え尽きること無く、心を燃やし続け、元気に走り抜こう。