メッセージ(大谷孝志師)
目標のある人生を
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2021年9月5日
エペソ4:13-16「目標のある人生を」 牧師 大谷 孝志

 人は何らかの目標を持って生きている。しかし、到達した途端に目標を見失い、無気力になったりすることがある。その症状は「燃え尽き症候群」呼ばれる。それまで意欲を持って一つの事に没頭していた人が、あたかも燃え尽きたかのように意欲をなくし、社会に適応できなくなってしまう状態のことをそう言う。元々は医療や福祉・教師などの対人サービス業に従事する人に多いとされてきたが、現在では様々な分野に見られるそうである。パウロは、ピリピ3:12,13で「後ろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っている」と言う。一つの目標に向かって懸命に走っている点ではパウロも同じと言える。しかも彼は、目標を目指して走った結果、全てのものを失ったが、それらを塵芥だと考えている。彼も目標以外のものを失った。一つのことに没頭して燃え尽き症候群になった人も、他のものを失うというより、捨てた点では似ている。しかし彼は燃え尽きていない。何故かと言えば、パウロは目標を追い求めているだけで、決して目標に達していないから。パウロを含め、キリスト者が目指す目標は、遙かに高いもの、「キリストの満ち満ちた身の丈」「頭であるキリスト」だから。

 世の人は、様々なこの世の目標を目指す。だから競争になり、ライバルを蹴落としてでも進め、前進あるのみと自分に号令を掛ける。相手を思う優しさは邪魔もの扱いする。相手を先にやる人は変人扱いすらする。神は人をご自分に象り、創造し、安心して共に生きる心を与えたのに、その素晴らしさが失われているのに気が付かない。「心の貧しい者は幸い」と主は言うが、人を愛し、共に生きることを忘れ、自分が自分がとの思いが詰まった心の人は幸いではない。主が言う心の貧しい者は、目指す主イエスと比べものにならない自分の心の貧しさを知る人。

 教会も人間の集まりだから、様々な個性のぶつかり合いがある。4:1-3の勧めも教会の人々の心がバラバラだったから。だから彼は「あらゆる点において、頭であるキリストに向かって成長」せよと勧める。「キリストによって、体全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの分に応じて働くことにより成長して、愛の内に建てられていくことになる」から。ここには競争心が入り込む隙間はない。教会こそが安心して共に生きられる世界と言える。

 とは言え、教会の人々の中にも当然個人差はある。信仰成長の度合いは人によって異なるから。しかし世の中では差別や疎外の原因と成り兼ねない個人差が、教会では他の人に仕えることができる要素として用いられていく。奉仕には見える見えないはあるが、全ての人は人間の計りではなく主の計りに従って、分に応じた奉仕をさせらている。だから愛と平和に満ちた豊かな交わりが教会にはある。

 世の人の中には、目標に達すると、定年を迎えた時のように、次の目標が見つかるまで、何をしたら良いか分からなくなることがある。無気力になったり、焦ったりすることも。その点私達はキリストという目標に向かって生きているので、全てはそこに至る迄の成長の過程と見て、いつも目標を目指して進めるので、目標を見失わない。勿論人間だから迷うことも、目標を見失いそうになる時もある。でも、御霊が私達を助け、道を示す。このような人生を歩めることは、私達が世の人々に誇って良い点。主イエスが目標なので、いつも目標があり、目標を見失わずに、その目標に向かって生きられるから。本当に素晴らしいことと私は思う。