メッセージ(大谷孝志師)

福音に相応しく生きる
向島キリスト教会 聖日礼拝説教 2021年9月19日
聖書 ピリピ1:27-30「福音に相応しく生きる」  大谷孝志牧師

 パウロは私の願いは「世を去ってキリストとともにいること」と言います。私はこれからも生きている限り苦労はあるだろうけれど、様々な仕事が出来るので,生きて働けるのは嬉しいと思っています。それに互いに行き来の出来ない別れをするのは辛いものがあります。パウロは結婚しませんでした。家族はいなくても、家族同様に愛し、共に生きている人々はいた筈です。彼が死ぬことは私にとって益だと言うのは、この世に何の未練も無いからではありません。彼はこの世で主イエスと共に生きる素晴らしさを知っています。しかし、自分が人として生きている以上、したいと思う善を行わないで、したくない悪を行ってしまうのです。その自分は、主によって罪の支配から救い出され、神に喜ばれることが出来る者にされているのに、世に生きる限り、心では神の律法に仕えていても、肉では罪の律法に仕えざるを得ないのです。それで、世を去ってキリストと共にいることが出来るなら、その方が遙かに望ましいと思ったのです。何故なら、主イエスがこのような葛藤から抜けきれない自分でも、主は愛し、捕らえているので自分の願いを聞き入れてくれる、そうなれると信じているからです。この彼のように、人は自分の為の自分の人生の考えから抜け出せていないのに気付けないものだと教えられます。

 さて、パウロはこの手紙の初めで、ピリピ教会の人々の事を思う度毎に神に感謝しました。神が福音を伝えるに相応しい者として彼等を用い、良い働きをさせているからです。では何故その彼らに「キリストの福音に相応しく生活しなさい」と言うのでしょうか。彼は、彼らがキリストの日に備えて責められるところのない者となり、彼らにより、神の栄光と誉れが現されるよう御霊が支え導くと信じています。その為には、彼ら自身が福音に相応しく生活することが必要なのです。しかし彼らの信仰は成長途上にありました。ですから、生きながらえて、彼等が実を結べるよう彼らと共にいて働く自分が必要と知らされていました。しかし彼はそこで一歩引き下がっています。私が行って会うにしても離れているにしてもと言うからです。行けるかどうかは御心次第、伝道は神の業だからです。彼等の信仰の前進と喜びの為には、自分が行って助けた方が良いかも知れません。でも、決めるのは神ご自身、行うのは彼らなのです。ですから、福音に相応しく生活することを彼等に命じるのです。そして彼は、そうすればこうなっていると聞けるでしょうと言います。この事も大事なことです。彼らには出来ると信じるからです。その教会は神の教会だからです。私達も出来ると信じ、福音に相応しく生きましょう。私達の向島キリスト教会も、同じように神の大切な教会だからです。

 福音に相応しい生活とは、具体的にどう生きることでしょうか。私達もピリピ教会の人々も社会の中で生きています。その社会の常識という基準でなく、自分達が聞き、信じた福音が示す生き方、これを基準にして生きることです。ですからパウロは「あなたがたは霊を一つにして堅く立ち」なさいと、一人一人が自分達は一つの同じ御霊に導かれていると信じなさいと言います。
 しかし私達は、相手も同じ御霊に導かれていると信じているでしょうか。時に、相手が何を考え、何をしようとしているのか分からないと思うことはないでしょうか。相手も同じ一つの御霊に導かれている、と信じましょう。そうすると、主イエスという葡萄の木に繋がっている枝同士と自覚できます。お互いに相手を同じ神の家族と見て受け入れ合えるのです。自分が主にしっかり繋がる、これが大事です。それにより、互いがしっかり繋がることができ、主にあって共に固く立てます。同じ主イエスを信じていても、それぞれ個性があり、価値観、人生観が違っていても、バラバラにならないのです。私達は互いに教会の一員として主に招き入れられた者同士であり、主イエスに十字架の死によって救われ、神に受け入れられた者同士だからです。私達は互いに掛け替えのない神の家族という友を与えられているのです。互いに心から相手を信じ、支え助け合い、赦し合える関係がこの教会にはあります。

 さて、パウロが福音に相応しく生活しなさいと言うのには、もう一つ理由があります。その麗しい教会の交わり壊そうとする敵がいるからです。悪の力は強く、正に悪賢いのです。巧みに教会の交わりに侵入し、壊そうとします。だから彼は、福音に相応しく生活しなさいと勧めます。福音に相応しく生きるなら、私達はどんな事があっても彼らに脅かされることはありません。主がその私達をしっかりと守ってくれるからです。彼が言うよに、霊を一つにして固く立ち、福音の信仰の為に心を一つにして戦うなら、私達の主イエスが共に戦ってくれるからです。それだけではありません。主イエス・キリストの福音を信じ、それに相応しく生きるな、主はそれに応えて、恵みに満ちた者、主に救われた者としての喜びを私達に味わわせてくれるからです。

 福音に相応しく生きることがそれ程に大切なのは、悪の力が強いからです。私達は、世の終わりが来るまでは、信徒を神から引き離して自分の方へ引き込もうとし、人々が福音を信じるのを阻止しようとする悪の力と戦わなくてはならないからです。私達は主を信じています。豊かな恵みを受けています。キリストの福音を信じているからこそ今の自分があることに気付きましょう。主が支え、守り導いているから、コロナ禍の中でも、こうして豊かな礼拝を守ることが出来ています。主は生きてい働いています。そして、この世の未だ主を信じない人々に、私達にしたのと同じように手を差し伸べ、救おうとしています。世の人々が救われ、主の豊かな恵みを受ける為には、私達がキリストの福音に相応しく生きることが必要なのです。悪の力は強く、戦いは苦しみを伴います。しかしその苦しみが、悪の手先になっている人々にとっては滅びのしるしであり、渡したいに取っては救いのしるしなのです。パウロが言うように福音の前身に役立っているのです。その苦しみはキリストの為だからです。ローマ書5:3-5で彼が言うように「苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出」すからです。そして、その希望は失望に終わらないからです。苦しみも恵みと知りましょう。教会の歴史が、先輩のキリスト者の歩みがその事が確かだとを私達に示しています。十字架と復活の主イエス・キリストの福音に相応しく生きましょう。