メッセージ(大谷孝志師)
壁を突き破る信仰
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2021年9月26日
マルコ7:24-30「壁を突き破る信仰」 牧師 大谷 孝志

 聖書を読むと、優しい面、厳しい面、冷たい面といった主イエスの様々な面を知らされる。27節の女性への言葉も冷たい響きの言葉。旧約でも神の同じような面に出会う。その時、主のことが分からなくなると思った経験はなかったか。主は私達を自由意志を持って生きる者として造った。どう生きるかは人の自由。主は勿論自由。人がどう生きるかにより、主の対応が変って見えるだけ。主が正しく聖く、愛に満ちた方であることは変わらない。もし冷たく見えたら、私達の姿勢のどこかが間違っていた。それに気付かずに主を非難したり、背を向け、離れたりしたら、悲しいこと。しかし現実の中では、弱い私達は様々な壁に囲まれ、身動きがが取れなくなることも。そして、主に「あなたのことが分からない」と、壁に囲まれた中で呟くことも。今日の個所はそのような私達に大切な事を教える。

 このギリシア人の女性は、今はあなたの願いを聞けないと断られた。25節は彼女の必死さを表している。彼女はユダヤ人ではなく、異教徒だったが、主イエスのことを聞いた。そして「この方に頼る以外にない。この方なら悪霊に憑かれた自分の娘をその惨めな状態から救い出せると固く信じて来た。しかし、大きく高い壁が彼女の前に立ちはだかった。でも、彼女は諦めない。イエスに懸命に、しかし謙遜に食い下がる。主が言った「小犬」は彼女のこと。ドラマで「警察の犬」という言葉が出てくるが、決して「警察の小犬」とは言わない。それではかわいらしくなる。確かにユダヤ人は異邦人を犬と呼んだ。ここで主は「小犬」と呼ぶ。家の中で飼う愛玩動物としての小犬を指し、侮蔑の言葉ではない。それにしても、ユダヤ人を子供達、異邦人を小犬と呼ぶのは、呼ばれた方とすれば面白くない筈。

 しかし彼女はイエスが何でそんな事を言うのかと憤然と外に出たのではない。私達も、信仰生活の中で、理由の分からないことに直面し、イエスは酷いと感じる時もある。聖書は主の御心としてそのまま、彼女のように受け入れることが大切と教える。自分が置かれている状況を先ず受け入れることが大切と。それが壁を突き破る為の第一歩。主の御旨、計画は私の思いを遙かに超えていると信じ、直面している現実をそのまま受け入れることが大切だから。彼女は主の言葉をそのまま受け入れた。何故出来たのか。彼女が主イエスに徹底的な信頼を置いたから。

 大きな高い壁の向こう側に、自分には見えないけれども、豊かな愛と恵みがあることを彼女なりに確信した。主イエスの言葉と眼差しにそれを感じ取れたから。聖書は私達に、何故壁があるのか、何故壁がこんなに高いのかと呟くのでなく、そして引き下がるのではなく、ただひたすら、求めるものが与えられるようにと諦めず求め続ければ良いと教えている。確かに壁は大きく高い。しかしそれを突き破れる。主イエスは彼女の徹底的に信頼する心を受け入れ、彼女の信頼により壁が突き破られた。とは言え、主を信じていても聖書や主の言葉に躓くことがある。障害や病気、仕事や勉強のことで失望、絶望を味わうこともある。しかし、主は私達が打ちひしがれることでなく、生き生きと生きることを望むと信じよう。壁に押し潰され、尻込みし、引き下がるのではなく、私達が壁を突き破ることを主は望む。全てを主の御心として受け止めよう。主は必要な時まで沈黙する、でも主は求める者に必ず良いものを与える方、恵みと真に満ちている方と信じよう。彼女のように、私達も主を信頼し切ろう。信頼し切るなら、どんなに高い壁でも突き破れると聖書は教える。私達の主が私達がそうするのを待ち続けているから。