メッセージ(大谷孝志師)
災いの中に恵みを見る
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2021年11月21日
ヨブ2:3-10「災いの中に恵みを見る」 牧師 大谷 孝志

「災いの中に恵みを見る」と言っても、災いに直面した時、絶望的思いにならず、単にその中に隠されている恵みを見出せということでも、「禍転じて福となる」時なのだから、安心せよということでもない。ヨブに与えられた災禍は、その中に恵みを見出せるような生易しいものではない。聖書は、このような災禍の中にも人は恵みを見出せると教える。全ては御心により、主が計画して行う事だからと。

 ヨブは敬虔で全き信仰を持っていた人。主は彼を祝福し、非常に多くのものを与えた。或る時、主が御前に立つ悪魔にヨブの信仰の敬虔さを褒めた。すると、悪魔は「もし、主が彼に災いを下したら、彼は主を呪うに違いない」と言う。悪魔は「人は主に祝福されるから、主に従順で、敬虔でいられる」と主張した。主は悪魔に彼の財産を全て奪うことを許した。悪魔は伝令以外の彼の財産を奪わせ、子供達を全て死なせた。しかし、ヨブは主を呪わず、「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と讃美し、罪を犯さなかった。暫くすると、悪魔は再び主の前に来た。主は悪魔に「お前は、私を唆せて彼に敵対させ、理由もなく彼を呑み尽くそうとしたが、彼は尚、自分の誠実さを堅く保っている」と言う。

 ここで、何故主が悪魔に唆されて彼に敵対したのか不思議に思うかもしれない。だが、理由は主の内にあった。何故なら、もし彼に理由があったなら、ヨブに災禍を下される原因が有ったことになる。しかし聖書を読めば、ヨブには全く原因はなかったと分かる。主は理由があってサタンの誘いに乗ったのだが、悪魔は理由がないのにヨブに災禍を与えた。そして、再び災禍を与え、今度は彼に非常な身体的苦痛を与えた。彼は熱と痛みと苦しみで、憔悴しきっていたと思われる。妻は、夫の苦しみを見ていられなかったと思う。「あなたはこれでもなお、自分の誠実さを堅く保とうとしているのですか、神を呪って死になさい」と言う。悪魔は彼に主を呪わせたい。悪魔は最も身近な人を用いて誘惑の言葉を語らせるから注意せよと聖書は教える。しかし彼は「あなたは、どこかの愚かな女が言うようなことを言っている」と言って誘惑を撥ね除けた後「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けるべきではないか」と言う。これは妻を諭す断定形でなく疑問形の言葉。聖書は私達に真実を、主の恵みを見出す道に導く言葉。

 1:22の「すべてのことにおいても、罪に陥ることなく、神に対して愚痴をこぼすようなことはしなかった」とのヨブの言葉に2:10で「唇によって」が加えられる。ここに、彼が心の奥から湧き上がる感情と闘い、言葉になって出てくるのを、理性を持って辛うじて押さえているのを感じる。主自身がこの災禍に理由がないと認めているが、彼にその理由が分かり得ず、口では信仰的な発言をしながらも、理由なく災いを下す主が理解できない。だからヨブはこの後、理由があるから彼に災いが下されたと主張する友人達に対して、この災いには理由が無いと主張し続ける。

 しかし、最後に主がヨブに語り掛けた。彼は悔い改め、人は主にひれ伏す以外にないと知らされた。彼は「災いを受けるべきではないか」から「全てを御心として受けるべきである」との信仰に変えられた。私達は、このヨブに与えられた非常な災禍と彼の激しい闘いを通して、理由無く豊かな恵みを受け、幸いな者として生かされていることの重さを知る。私達は主を信じ、主に従って生きている。この世に生きていて、主に従う理由が分かったから従うのではなく、主が「すべてのことがともに働いて益とする方」と信じ、主に全てを委ねて従う者になろう。