メッセージ(大谷孝志師)

奇跡の体験者に
向島キリスト教会 クリスマス聖日礼拝説教 2021年12月19日
聖書 ルカ2:1-20「奇跡の体験者に」

 殆どの同盟の教会では、12月25日の前の聖日に主のご降誕を祝い、クリスマス礼拝を行います。24日にはイブ礼拝を行います。でも、イブは前夜ではありません。クリスマスの夕べの意味です。羊飼い達が御使いに主の誕生を知らされたのが夜であり、東方の博士達も大きな星に導かれて、夜、主を礼拝したからです。今年も今日19日にクリスマス礼拝と祝会います。そして、24日にクリスマスイブ礼拝を行い、主イエスの降誕を皆でお祝いします。

 さて、主イエスの父となることを受け入れたヨセフは、身重になったマリアと共に、住民登録をする為にガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムに来ました。先週の紙芝居でも、ベツレヘムに着いた夜、宿屋を探したけれど、部屋がなく、馬小屋を借りてイエスを産んだことになっていました。しかし聖書では、そこ、つまりベツレヘムにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を産んだとあります。そして両親は初子を布にくるんで飼い葉桶に寝かせたのです。更に、初子出産について律法が定めた期間が終わる迄、彼らはユダヤに留まっているので、宿屋に彼ら泊まる部屋がなかったのではなく、初子を安全に寝かせる場所がなかっただけと考えられます。飼い葉桶に寝かせたのも、当時の飼い葉桶は壁に釣り下げ式なので、危険も少なく、新鮮な藁を敷けば床より衛生的だったからです。とは言え、王となる方の寝床に相応しいとは言えません。しかし初子を聖別する為に献げる生け贄を、貧しい者の為の規程に従って献げたことを合わせて、神が人となってこの世に来たことの意味を、彼らの貧しさを記すことで聖書は明らかにしているのです。この主イエスの誕生の描写は、質素で静寂なだけでなく、暗ささえ感じさせます。これにより世の人々の霊的貧しさを私達に教えていると知りましょう。

 でも、クリスマスのイラストを探すと、サンタの絵がとても多く、賑やかで楽しそうな物が殆どです。ジングルベルの歌が聴く人の心を浮き立たせます。クリスマスに楽しいイメージが多いのはなぜでしょう。主イエスが全ての人を照らす真の光として世に来たからです。主の誕生により、全ての人を照らす真の光が世に輝く新しい時が始まっているのです。そして信じる私達が光の子として、主が真の光でこの世を照らしている世に歩んでいるからです。しかし、世の人々にはこの光は霊の光りなので見えません。ですから、主は「あなたがたは世の光です」と教えます。主を信じる私達は、世の人々を主の光で照らしているのです。主の光は世の人に見えなくても私達は見えます。私達共にいる主が、私達を恵みと憐れみに満たしています。その私達を用いて、人々を照らしているのです。私達は心が闇の中の世の人々にとって祝福の源となり、主の愛と憐れみを受けて世に輝いていると知りましょう。

 主イエスがベツレヘムで生まれたこの日の夜、羊飼い達が野宿をしながら、羊の群れの番をしていました。不安や恐れはあっても、仕事の為、生活する為には仕方がありません。火を焚いていたかもしれませんが、周囲は漆黒の闇です。そこに突然、主の使いが来て、主の栄光が周りを照らしたのです。

 当然、彼らは非常に恐れます。マリア、ヨセフの場合と同様、主の使いは突然現れました。御使いが羊飼い達に語り掛け、彼らがその声を聞いたからこそ、その内容が伝えられているのでしょう。でも、マリア達の告知の場合もですが、ルカが彼らからその目撃情報を聞き取ったとは考えられません。それは、手紙は別として福音書に記された様々な出来事についても言えることです。なぜこのような奇跡が聖書に記され、多くの人々が信じているのでしょう。先程のヨハネの言葉を思い出しましょう。全ての人を照らす真の光が世に来たからです。神であることばが人となって、私達の間に住んだからです。主イエスが世に生まれ、神が霊の光りで世を照らし、神が人と共にこの世にいるというインマヌエルの時が始まっているからです。全ての人は、霊の光、神の栄光が輝く世界に生きています。主を信じ救われた者は、それらを事実起きた事と、御霊の働きにより受けけ止めることができたからです。

 その光、主の栄光に、先ず羊飼い達が照らされました。御使いは、彼らに救い主が生まれたと伝えました。そのしるしは、その嬰児が布にくるまって飼い葉桶に寝かされていることと言います。救い主が到来することは、旧約聖書に預言されていて、ユダヤ人は長い間待望し続けていました。でもその成就のしるしが、飼い葉桶に寝かされた嬰児だと主の使いは言ったのです。それは世の知恵では考えられない事です。世の常識を遥かに超えた事です。

 何故、飼い葉桶に寝かされている嬰児が救い主なのでしょう。神は彼らを含む全ての人にご自分を信じることを要求しているのです。神がローマの支配下にいる彼らを救い出し、救い主を王とする神の民とすることは、神が直接御力をもって行わなければ実現できない事だからです。この世の知恵、常識を遥かに超えた事です。人間には信じられない事です。しかし、この事を信じなければ人は救われません。ですから神は、彼らが信じられるように、主の使いを遣わして事実を知らせ、更に、夥しい天の軍勢を出現させ、その軍勢が神を讃美し、神の栄光を顕したのです。神は彼らをその目撃者としたのです。彼らは神が支配する世界にいると知りました。これこそが神を信じる事、神が自分の神と知る事なのです。彼らは御使いが天に帰ると行動を起こし、ベツレヘムに行き、神が知らせた救い主誕生の奇跡を自分の目で見、全て御使いの言葉通りと確認しました。この素晴らしい奇跡の目撃者となった彼らは、喜びに満ちあふれ、神を崇め、讃美しながら帰って行きました。

 主イエスは、神と人に慈しまれ、成長し、三十歳半ばで、神の国の福音を宣べ伝えました。そして、全ての人の罪を贖う為に十字架に掛かって死に、三日目に復活し、今も私達と共にいます。世の人々はクリスマスという言葉は知っていても、クリスマスの真の意味と目的を知りません。主は「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいます。」と言います。私達はこのインマヌエルの奇跡により人生を大きく変えられた体験者なのです。主の「あなたはこれを信じるか」との御言葉を改めて心に刻み直しましょう。主は私達に信仰を求めています。この霊的事実を信仰をもって受け入れる時、私達も自分の人生の中でこの奇跡の体験者になれます。主に感謝しましょう。