メッセージ(大谷孝志師)
人一人の重さ
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2022年1月23日
マルコ5:1-20「人一人の重さ」 牧師 大谷 孝志

 主イエスは、一人を救う為に豚二千頭を殺した。主は、人の命に比べたら、豚の命は問題にならないと教えているのではない。一人の人が救われることは重く、何ものにも替えられない意味と重要さがあると教えている。私はこれ迄20名近くの人の信仰告白とバプテスマ式を行ってきた。救われた重さを十分に感じ取っている人々もいれば、感じ取れずに、暫くすると教会を去った人々もいる。私は教会に行き始めて半年で決心し、高二の四月に受浸した。先輩の教会員の方々にはかなり危なっかしく見えているよと忠告してくれた友もいた。しかし、教会の周囲にいつでも遊びに行ける幾つかの教会員の家庭があった。私を含めた青年の力強い味方だった。その交わりの中でキリスト者として生きることがどんなに素晴らしいことかを学べた。しかし、私と一緒に受浸した三人は数年の内に教会を離れた。キリスト者にはなろうと思ってなれるものではないが、主の十字架の愛に応える人生とするかどうかはその人責任と心に刻んでいることが大切。

 私が受浸すると母に言うと、母は自分も受けたいと牧師に申し出た。私より先に教会の礼拝や集会に出ていて、私に教会に行きなさいと言った母だが、助産師の仕事の為に十分には主日礼拝を守れなかった。牧師に「もう少し待って」と言われ、諦めた。救われるには時があり、その時は主が決めていた。事実その十数年後、最初の妻が召され、前の妻と再婚するまでの一年余り錦織教会に仕事を辞めて手伝いに来ている間に決心し、救われた。受浸を決意した人の指導は、牧師の仕事の中で大変難しいものの一つ。しかし、人が救われることは、何ものにも換えられない重さを持つ。それを知り主に任せれば良い。救いは主の御業だから。

 汚れた霊に支配され、人々に恐れられていた人が、遠くから主イエスを見つけ、主に走って来て拝し、大声で叫んだ。「私を苦しめないで下さい」と。これはこの人とこの地方の人々を苦しめていた悪霊の叫び。悪霊は自分中心。主はレギオン(大部隊)と言う名の大勢の悪霊を追い出し、その懇願を聞き入れて山腹にいた夥しい豚の群れに入ることを許した。二千頭程の豚は湖になだれ込み、溺れ死ぬ。それを知り、主の所に来た人々は、悪霊に憑かれた人に起きた事、豚の事知り、イェスの存在に脅威を感じ、この地方から出て行って欲しいと懇願、追い出した。

 主は舟に乗ろうとした時、お供をさせて欲しい願う彼に、家族の元に返り、主の恵みと憐れみを知らせよと命じた。一人を救う為に豚二千頭が殺され、主もその土地を追われた。しかし、彼によりその地方に福音が伝えられた。人々は驚くべき主の御業と主の深い憐れみとを知った。人々はみな驚いたが、彼に起きた事は否定しようがなかった。主イエスは私達を彼のように、古い死んだような自分から、生き生きと生きる新しい自分に変える為に十字架に掛かって死んだ。 主は私達を生かす為に自身を死に渡した。私達は主イエスを信じ、救われ、喜んで世に生きている。「主イエスを信じる以外に救いはない」、「主を信じる者には真の平安が与えられる」ことを信じてこの世に生きる私達は、自分の人生の中で自分に注がれた主の深い愛と憐れみの体験者。主が私を掛け替えのない一人として大切にしたように、私達が接する一人一人も主にとって掛け替えのない重さを持つ人。主は、私の母の時のように、その人の救いの時を定めている。主はその人を罪と闇の中に閉じ込めておかない方だから。この個所の人のように救い出して下さり、救われた喜びを世の人々に伝える者とされる。正に、主の御名は褒むべきかな。