メッセージ(大谷孝志師)

福音を伝える喜び
向島キリスト教会 聖日礼拝説教 2022年2月6日
聖書 エペソ3:1-13「福音を伝える喜び」

 1873(明治6年)年2月7日、ネイサン・ブラウン、ジョナサン・ゴーブル両夫妻が、アメリカ北部バプテスト伝道協会から派遣されて横浜に到着しました。日本バプテスト同盟は、この日を記念して2月の第一日曜日を「バプテスト・デー」としています。私達も今日の聖日礼拝を「バプテスト・デー」として守っています。江戸幕府は世界史に例を見ない程厳しくキリスト教を禁止し、隠れ切支丹の発見や棄教を徹底して行いました。しかし、幕末に二つの港が開かれると居留地にいる外国人の信教の自由を認め、宣教師の来日を許し、横浜天主堂や大浦天主堂が建設させました。しかし、1868年に誕生した明治政府は、江戸幕府の切支丹厳禁政策を継承し、日本人への宣教は認めず、発見された隠れ切支丹への迫害も行ったのです。しかし、それが諸外国の反発を招き、キリスト教禁令の高札を廃止せざるを得なくなりました。両師が来日した直後の2月24日でした。両師は、3月2日に現在の横浜バプテスト教会の前身である横浜第一バプテスト教会を設立しました。明治政府はキリスト教厳禁を解いても、約25年間、キリスト教を公認はしませんでした。それでも多くの宣教師が来日、宣教しました。欧米の教会はアジアの人々の救いの為に熱心に祈り、献金し、伝道の為の組織を作り活動しました。異教世界に生きる日本人に、真の神様を知らせたかったからです。やがて、未公認でも江戸時代に藩士であった多くの人々が教会に来、日本人伝道者も生まれました。キリスト教への反感が依然として根強かったのですが、その困難な状況の中で、異教徒の救いの為に来日した多くの宣教師が働きを続けたのです。

 パウロの伝道も困難を極めました。しかし獄中にいても、「私が、あなたがたのために苦難にあっていることで、落胆することのないようお願いします」と言います。彼は、自分が苦難を受けているのは、主の囚人となって伝道したからだと知っています。彼が苦労しているのは事実です。でも彼は苦労だと思っていません。逆に喜んでいます。異教徒だったエフェソ教会の異邦人が救われて、教会の一員となり、神に喜ばれる生活をしている姿に、大きな喜びを味わっています。彼にとって、宣教は苦労のし甲斐のある働きでした。

 来日した宣教師の宣教も大きな困難を伴っていました。しかし日本に住む人々がこのまま滅びの道を歩むままにしておけなかったのです。それにに「福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になる」と彼らは知っていたからです。その主の恵みを知り、自分達と同じように救われて欲しいと真剣に願ったからです。どんなに困難でも、主が「だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めることを望み(2ペトロ3:9)、忍耐していると知っていたので、主が世を滅ぼす日が来る前に、一人でも多くの人に福音を伝えようと、困難に立ち向かったのです。主はその人々に多くの実を日本で結ばせました。

 さて、パウロは3:1で「あなたがた異邦人の為にキリスト・イエスの囚人となっている私パウロ」と言います。彼は投獄され、この手紙を獄中で書いていますが、自分はローマの囚人ではなく、キリスト・イエスの囚人と言います。日本に来た宣教師の方々も、イエスに日本に行って異教の神々を信じる人々に福音を伝えよと命じられ、全てを投げ打って来た主の囚人だったからこそ、豊かな実を結べたのです。囚人には自由はありません。命じられた場所で、命じられた事をしなければなりません。パウロも日本という異教の地に来た宣教師も、自分の意のままにではなく、主の御心のままに生きる「主の囚人」として、この日本で全てを恵みと感謝して福音を伝え続けたのです。

 しかし、日本は最初のプロテスタント教会ができて150年経つのに、キリスト者人口は2%前後の異教社会のままです。バプテスト・デーのこの日、日本に来て、人々に福音を伝えた宣教師の働きを心に刻みましょう。「私たちはこのキリストにあって、キリストに対する信仰により、確信をもって大胆に神に近付くことができます」とパウロは言います。私達も福音を伝えられます。確かに、壁は高く大きいので、できないと思ってしまいます。しかし、宣教師達はその壁を乗り越えて伝道したのです。私達も乗り越えられます。

 パウロは偉大な伝道者でした。しかし、自分を「聖徒達の内で最も小さな私」、Ⅰコリント15:8でも「月足らずで生まれた者のような私」と言います。彼が教会の迫害者の過去を持つからではありません。彼は、自分の過去に誇りを持っていましたが、主キリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、すべてを損と思っています。日本に来た多くの宣教師も語学に堪能で、聖書や信仰についての知識も豊かでした。今は亡き、アンデルソン師も豊かな人格者でした。右も左も分からない20才の神学生の私を伝道者の卵として暖かく受け入れ、一緒に行動させ、指導してくれました。宣教師は遣わされた地でそれぞれに大きな働きをしました。しかしそのように生き、実を結べたのは神の計画によるのであり、彼らの資質によるのではありません。

 ペンテコステに使徒達に聖霊が降り、彼らは力を受けて、十字架と復活の主イエス・キリストが救い主と伝える主の証人、働き人となりました。しかし、ユダヤ教という民族宗教の厚く高い壁を越えさせる為に、神はパウロを選び、異邦人に福音を伝えさせました。しかし、ユダヤ人には、十字架に付けられ、死んだ、つまり、神に罰せられたイエスを神が復活させ、万物の主としたとの教えは間違いで、異邦人には、ユダヤ人の神が全世界の創造主で、イエスが主、救い主との教えは愚かなことしか思えなかったのです。それ故、教会は両方から激しい迫害を受けました。パウロは、ユダヤ人に石を投げつけられ、ローマ兵に投獄されても福音を伝え続けました。多くの宣教師も苦難を乗り越え伝道し続けました。パウロがその人々を、主に結ばれた家族と見て、受け入れていたように、宣教師も異国の人々と自分を、主に結ばれた同士という深い一体感を持って「私達」と捉えていたのです。誰でも主イエスを信じるなら、神に近付き、豊かな恵みを戴けると信じるからです。パウロも宣教師も苦難の道を歩みました。それは救いを必要とする世の人々の為の道でした。今日は多くの宣教師の働きを覚えると共に、宣教に献身した神学生の為に祈る日。神が一人一人に注いでいる深い愛に心から感謝しましょう。