メッセージ(大谷孝志師)
信教の自由を守る日
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2022年2月13日
使徒4:13-12「信教の自由を守る日」 牧師 大谷 孝志

 一昨日2月11日は建国記念の日。戦前は紀元節と呼ばれていた。日本書紀に辛酉の元旦に神武天皇が大和の橿原で即位したとの記事に基づき1873年に明治政府が紀元節として制定した。また、この日に帝国憲法を公布し、紀元節奉祝の唱歌を作り、その意義を学校教育の中で徹底させた。特に1940年は紀元2600年にあたり、に中戦争の泥沼化と戦線の拡大、対米英交渉が難航し、軍国主義が強化されていく中で、熱狂的な祝賀行事が行われた。戦後、片山内閣が国民の祝日として2月11日を建国の日として制定しようといたが、GHQの通達により削除された。その後、紀元節を祝日化しようとの運動が起り、建国記念日法案が度々提出されたが、野党の反対等で廃案が続いた。しかし1966年(昭和41年)に、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」という趣旨の「建国記念の日」を定める国民の祝日に関する法律の改正が成立した。具体的日付は政令によって2月11日が「建国記念の日」をされした。こうして、紀元節の祭日であった2月11日は、「建国記念の日」として祝日となった。人には誕生日があるので、国の誕生日を決めて祝うのは当然かも知れない。しかし、キリスト教会はこの日を信教の自由を守る日としている。何故かと言えば、この建国記念の日が軍国主義の支柱となった紀元節を祝うことに繋がるから。戦前のように信教の自由が侵されることへの警戒心を持っているから。

 今日の箇所でも、ペテロとヨハネは福音を語ることを禁じられている。信教の自由が侵されてる。しかし二人は「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが神の御心に正しいか、判断してください。私たちは、自分達が見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません」と突っぱねた。二人は宮の守衛長達に捕らえられ、留置された。翌日、ユダヤ議会で取り調べを受けるという危機的状況に立たされていた。私達はこのような状況の中で二人のように大胆に語れるか。

 昔、ある老牧師が「戦前も信教の自由を守る人は多かった。しかし、国家の統制が厳しくなると、大部分の人が右向け右をしてしまった」と語った。言論が自由な時は、人は活発に語る。しかし危機的状況に口をつぐむ信仰ではなく、この二人のように、殉教を恐れず信仰者としてこの世に語り続けることが大切では。

その当時、天皇の写真や皇居に拝礼したり、戦闘機献金を集めた教会もあった。パウロがガラテヤ6章で言う「キリストの十字架のゆえに自分たちが迫害されないようにと、あなたがたに割礼を強いている」人々のように、迫害を恐れて教会の兄姉をこの世に同化させようとした人達がいた。いつの時代にも信教の自由に対する誘惑、挑戦はある。大切なのは「人に聞き従うか、神に聞き従うか」を判断の基準にし、常に真っ直ぐに主イエスを見詰め、主に従って生きようとすること。

 勿論、建国記念の日を祝わないから日本の国を愛さないのではない。主を第一に愛する人が真の愛国者。この国に恵みと平安が満ちあふれ、平和に保つのは主イエスだから。この世、この国の現状を憂うなら、私達はこの国を愛する故に憂国の士として福音宣教に励もう。しかし二人は何故きっぱりとした姿勢を取れたのか。癒やされた人が一緒にいたからだけではない。その癒しの奇跡により、主イエスの否定しえない力を体験していたから。彼らが堂々としていたのは、強い意思や力量の故でもない。主が共にいたから。主は信教の自由を守る力を与える。社会的に信教の自由が侵されても、福音は鎖に繋がれない。私達は自由。時が良くても悪くても大胆に福音を伝え続けよう。それが信教の自由を守ることだから。