メッセージ(大谷孝志師)
人をえこひいきしない
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2022年3月6日
ヤコブ2:1-4「人をえこひいきしない」 牧師 大谷 孝志

 主イエスの元に集まった人達は経済的に貧しい人が多かったと言われる。この手紙を書いたヤコブは、十二使徒の一人ではなく、主の兄弟の一人。主の復活後、イエスを主キリストと信じた。彼はエルサレム教会の中心人物の一人。パウロの手紙を見ると、諸教会がエルサレム教会を経済的に支援した。金持ちもいたが、貧しい人も多かったと思われる。主の権威を継承しても、未成熟な段階にあった。

 彼は「私たちの主、栄光のキリストへの信仰を持っていながら、人をえこひいきすることがあってはならない」と言う。彼は「金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来て、また、みすぼらしい身なりの貧しい人も入って来た」場合、金持ちを優先し、貧しい人に冷たい態度を取ったとしたら、自分達の間で差別をし、悪い考えで裁く者となったと言う。その実例があったのかも知れない。彼は人を外見で判断すること、貧しい人を侮辱することの罪を厳しい調子で指摘している。

 人は誰でも金が無いより有った方が良いと考える。では何故「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだから」と主は言ったのか。経済的に豊かな人より貧しい人の方が苦しい生活をしているのは事実。主はその人々を憐れみ、祝福が用意されていると教える。富が豊かな家に生まれた人は、ある程度努力すれば豊かさを維持でき、生活に満足できる。貧しいとそこから抜け出すのは困難、懸命に努力しても成功するのは希。主は、貧しい人の方が人間の努力に限界があることを理解し易いと知っていたと思われる。主は貧しい人の方が、物質的豊かさに心を奪われずに、真に大切な信仰的豊かさに敏感になれると見抜いている。

 ヤコブはそのような御心に心を向けず、自分の貧しさに負け、同じ貧しい人を辱めたり、金持ちに媚びたりしてはいけないと教える。また読者に、物質的豊かさが人を傲慢にすることを経験から知っているが筈と言う。人はどうしても外見で判断しやすい弱さを持つ。見えるところで判断してしまうから。しかし信仰において大切な事の一つに「見えるものにではなく、見えないものに目を留める(Uコリント4:18)」がある。相手の外見ではなく、その人と共にいる主イエスに目を留めることが大切と教える。でも薄汚い服を着た人と小綺麗な服を着た人のどちらと共に歩くのを望むだろうか。主が「これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者の一人にしたことは、わたしにした」と言ったことを心に留めていよう。

 偉人と呼ばれる多くのキリスト者は貧しい人を拒絶せず、何故働かないのかと非難せず、彼らが平安な生活ができるよう、むしろ、心を込めて彼らに仕えた。キリスト者にとって大切なのは「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」との主の戒めを守り、人を分け隔てせず「隣人」を自分の基準で決め付けないこと。しかし隣人を愛すると言っても、越えてはいけない垣根はある。相手の立場や状況を理解し、信頼関係を築いていかないと、逆に相手を悲しませることになる。

 主は外見で判断しやすい私達の弱さを知り、私と相手を愛し、知恵と力を与え、正しい言動を行えるようにする。主は私達が様々な人と平和に、心を一つにして共に生きることを望む。何より、主が私を大切にし、共にいて、慰め、励ます。周囲の人にも私同様に、主は共にいて慰め、励ます。勿論、私達自身もその時々の気持ちで相手に接するので、波やむらがあるのは避けられない。だからこそ、主の思いで相手を見、主の僕としての自分を見ていよう。そうすればえこひいきから自由になり、主に愛され、守られている者同士として、共に生きられるから。