メッセージ(大谷孝志師)
教会の人間関係
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2022年3月13日
Tコリント12:22-27「教会の人間関係」 牧師 大谷 孝志

 人は世の中で、上下関係、依存や支配の関係、保護や委託等の様々な人間関係の中に生きている。教会の中にも依存、委託等、様々な人間関係があるが、教会の人間関係の特色は、常に主イエスが中心にいる関係。互いの関係は上下、支配被支配の関係でなく、横の関係で、相互依存の関係。特定の人に他の人が仕えるのでなく、主イエスに仕える意識で、互いに仕え合い、助け合う関係と言える。

 しかし人間の集まりである以上、様々な問題が起きることも。皆が同じであれば問題がないが、個性、感情、能力等の違いから、無理解や誤解が生じるから。パウロは、一人一人に能力の違い、働きの違いはある。しかし、能力や働きに違いがあるのは、その人に与えられている霊の賜物が違うからが理由だと教える。だから教会の中では、素晴らしい働きをする人も羨望の眼差しで見られない。主が必要とするから、あれだけの事ができると考え、私の為に、私達の為にあの人がしてくれたとむしろ感謝できる。とは言え、キリスト者と言っても人間であり、自分中心に物事を考えてしまうので、人の違いがどうしても気になってしまう。

 先ず大切なのは、自分は教会に必要の無い人間と考えないようにしよう。私はあの人のようにできないから、教会にそれ程必要はないのではと考えないこと。教会ができる人ばかりがいる所だったら、できない人のいる余地が無くなる。しかし、できないと思っているのは自分の思い込みで、自分では気付かないが、自分にできる事は必ずある。できないと思う人も安心して自分にできることを見つけ、自分が生きる意味を見つけられるのが教会の良い所。そのように誰でも安心して自分の居場所、自分がいて良いと思える場所を見つけられる所、それが教会。

 何故なら、教会はあの人はここに必要ないと考えない所。教会に来ている人は、主イエスが必要として招き入れた人。この交わりの中に主が生かしている人。誰でも自分に生きる意味があると思うから生きている。でも他人の事となると、どうでも良いと思ってしまう時が。目に手の大切さ、頭に足の大切さが分からないように、自分と違う人の大切さが分からないことが多い。誰もが持つ弱さの一つ。彼は「ほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならない」言う。教会では相手に対してそう考えて、受け入れ合える。だから人間関係が素晴らしくなる。

 始めて教会に来た人、長い間来られず、久し振りに来た人が、人々の顔が輝いて見えることがある。皆弱さや悩みを背負って教会に生きているが、教会にいると、主が心を良いもので満たし、見栄えが良く、格好良い姿にするから。それだけでなく、相手の悩みや喜びを敏感に感じ取って、その人に対して優しい感情を抱くこともある。主が一人一人をご自分の体である教会の部分にしているから。全ての部分に神経が通い、足の痛みを感じて目や手が動くように、互いの間に分裂がなく、労り合い、支え合えるように主の愛が教会の人間関係を包んでいる。

 更に、教会の人間関係は平等の原則の上に成り立っている。男女平等と言っても、男女の違いは歴然としているように、教会も皆が同じ役割と重荷を負っているのではない。違いを超え「みんなちがってみんないい」との思いで接し合い、互いに尊敬し合えるのが教会。だから弱い人間同士の関係であっても、教会の人間関係は破れそうで破れない。何故か。人をあるがままに包み込む主の十字架の愛と、復活し共にいて希望を与える主の愛が人々の間に満ち、その主の愛が互いの関係をしっかり結び合わせているから。だから教会の人間関係は素晴らしい。