メッセージ(大谷孝志師)
本気で主に従う
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2022年4月24日
ローマ2:1-5「本気で主に従う」 牧師 大谷 孝志

 私達は、父なる神、御子なるイエスキリスト、聖霊なる神を信じる。神が御子を世に遣わし、御子が十字架に掛かって死に、私達の罪を赦し、神の子、聖霊の宮とし、聖霊が互いの罪が赦され、互いに愛し合う者されていることを知らせ、導いているから。パウロは1章後半で異邦人が陥っている罪の現実を厳しく指摘。

 ここでは、他人事のようにそれを聞いていたユダヤ人に対して、あなたがたも同じような者でないかと悔い改めを迫っている。「人の振り見て我が身を直せ」と言うが、主がマタイ7:3で「兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか」と言うように、人の欠点は見えても、自分の欠点は見えない。ユダヤ人は自分達は神を知っていると思っている。神はご自分以外のものを神と崇める人を滅ぼす。だから偶像礼拝をする異邦人は当然滅ぼされると思うから「そうだそうだ」と彼の言葉に頷いていたと思う。しかし、彼らは真の神を礼拝していると思っているが実は違う、と彼はここで指摘している。これを私達にも向けられた神の言葉として聞くことが求められていると気付こう。

 主が「あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義に勝っていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません」と言い、この手紙の10章でも「彼らが神に対して熱心であることを証します」と言うように、彼らは神に喜ばれようと律法を熱心に守っていた。それは素晴らしいもの。しかし彼らは主イエスによる神の働き掛けを拒否し、主イエスと父なる神がひとつであることも認めず、神が慈愛をもって彼らが悔い改めるのを待っても拒絶し、十字架に掛けて主を殺した。だから彼はユダヤ人も異邦人も神の御旨を行っていない点で同じで、共に神の裁きを免れないと言う。しかし私達はユダヤ人を笑えない。彼らは私達が考える以上の厳しい試練を何度も経験した。この民族の歴史は人は「人はどうしたら正しい信仰を保つことが出来るか」という実験が繰り返されているかのよう。5月1日の礼拝で「主が共にいるのが分からない」という題で学ぶが、私達は神がその人を通して語り掛けていても、それを人の言葉としか聞けないことがある。聖書を解き明かすその言葉がどんなに重いかに気付けないことが多いからではないか。

 私達は、どれだけ神を愛し、大切に思っているかを考えよう。申命記6:5に「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」とある。そこまで本気に神を愛しているか。神は「その独り子をお与えになった程に世を愛された。(ヨハネ3:16)」神がそこまで私達を愛している。私達はどうか。

 パウロは全ての人に、今のままでは駄目だと語りける。神中心に生き方に変え、神の豊かな慈しみと忍耐と寛容を軽んじないで、悔い改めて主に従えと言う。私達が神中心の生き方に変え、本気になって主に従わなければ、世の人々も求道者も教会員も同じなのだと聖書は私達に教える。厳しい御言葉だが、神を神として信じ、主に従うとはそれ程重いことと知ろう。主を信じるは、主に誠実であり、忠実であること。主は全生活費レプタ二枚を献げた女性を褒めた。「神様、罪人の私を憐れんで下さい」と胸を叩いて言った取税人が神に義と認められたと言った。

 主は私達の為にご自身を捨て、神は御子を十字架の贖いの犠牲にする為に世に与えた。その主の愛、神の愛に感謝し、あの貧しいやもめや取税人のように主の愛と憐れみを求め、私達も本気で自分を捨て、自分の十字架を負って主に従って行こう。主はしっかり受け止めて下さる。主はそのような私達を求めているから。