メッセージ(大谷孝志師)
実を結ぶ生活
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2022年5月8日
マルコ4:14-20「実を結ぶ生活」 牧師 大谷 孝志

 主イエスを信じてこの世に生きていても、空しさを感じることはある。いくら努力をしても成果が上がらない。相手を信じたら、利用されるだけだったり、裏切られたりと。人は一人では生きられないが、相手が常にいる人生なのでなかなかうまく行かないもの。誰もが実を結ぶ生活が出来れば良いと思うが、とても難しい。

 主が湖の畔で、非常に多くの群衆にした教えの中に種蒔きの譬えがある。主は身近なものを譬えに用いて、福音を人々に分かり易く教えた。この4章にも「種蒔き」「明かり」「種の生育」「からし種の成長」と四つの譬え話がある。この種蒔きの譬えはその中でも有名な譬え話だが、前にも話したが、「四つの種」についての話ではなく、種が落ちた四つの場所についての教え。人にはみ言葉という種が蒔かれている。それを受け取った人の心により、その人生が違ってくると主は教える。

 今日の題は「実を結ぶ生活」だが。実を結ぶ生活とは、自分がする努力や行為が実を結ぶことではない。自分に蒔かれたみ言葉が実を結ぶこと。主が私にみ言葉を蒔き、私がみ言葉の実践することで、私自身が実を結べた喜びを味わえる生活。

 そのみ言葉という種は目に見える形を持っていない。どのようにして御言葉が蒔かれるのか。私達が聖書を読み、祈り、説教や証を聞く時、心にひらめくように響く言葉、それがみ言葉。主は様々な時に、様々な方法で私達に語り掛け、み言葉という種を私達に蒔き続けている。では蒔かれたみ言葉が実を結ぶ為には、私達はどうしたら良いのか。

 先ず第一に、み言葉を受け入れよう。語り掛けられたみ言葉に無関心でいると、自分の傍にあるに言葉をサタンが喜んで取って行く。第二に、み言葉を自分の生活の中に根付かせる努力をしよう。聖書の言葉や教えの良さはキリスト者なら誰でも認めている。しかし生活の中での実践となると、良い時は良いが、主イエスに従う事を最優先しようと思っても、今は無理、或いは家族に反対されたりすると、そちらを優先させてしまうこともあるのでは。「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」という言葉がある。御言葉もそう。御言葉は聞くだけでいたら、その良さは本当には分からない。御言葉に従って生活してみると、初めてその良さが分かる。第三に必要なのは、御言葉に相応しく生きようと努力し続けること。世には様々なサタンの誘惑が満ちている。家族のこと、仕事や学校の方が今は大事だよ。趣味や付き合いも大切にしよう。金がなければ将来が不安だよ、家族のことも考えて上げなければと、私達がそうかなと思うようなことをサタンは囁きかけて来る。誰もが実を結ぶ生活をしたい、充実した、生き甲斐を感じられる実を豊かに結べる生活を望む。それが出来るとこの譬え話は教える。それは良い地になること。良い地になるには、み言葉を聞いたら、それを受け入れる人になれば良い。難しく考えず、「主イエスだったらどうするか」と考え、実行しよう。それがサタンの誘惑に打ち勝つ最も良い方法になるから。

 自分がした事、願った事、努力した事が実を結ぶほど素晴らしいことはない。主はそのような生き甲斐に満ち、充実した生活が出来ると約束している。人はどうしても自分の力で何とかしなければと考えてしまう。そこに、自分の願いや努力が実を結ばず、徒労に終わる最大の原因があると主は知り、この譬え話をした。「自分が、自分が」という考えを捨て、「主イエスならどう思い、どうするか」を考え、み言葉を受け入れよう。自分の行いが実を結ぶ幸いを味わって生きられる人生に大きく変わるから。心に響くみ言葉を聞いて受け入れ、実を結ぶ生活をする者になろう。