メッセージ(大谷孝志師)
時と永遠
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2022年5月15日
Uコリント4:16-18「時と永遠」 牧師 大谷 孝志

 今日の聖書に「見えないものは永遠に続くから」とある。原文は「見えないものは永遠である」と断定形。永遠に続くと訳すと永続の意味合いが強くなってしまう。永遠と永続は違う。日本語にも「時刻」と「時間」があるが、ギリシア語にも、時を表す言葉にクロノスとカイロスという二つの言葉がある。クロノスは時間と訳され、カイロスは時と訳される。時間、月間、年間と言うように、時間には初めがあり、終わりがある。しかしそれは絶対的始まりでも終わりでもない。私の人生を考えてみても、誕生は確かに始まりだが、私の人生は受胎の時から、更にそれ以前の両親、その両親の誕生から既に始まっている。今の人生はその連続した時の流れの中に位置づけられた一部に過ぎない。死も絶対的終わりではない。私が受け継いだと同様に、私の人生も子や孫、友人知人に引き継がれていく。

 今の科学では、宇宙は膨張し続けていると考えられている。逆に考えると、宇宙の全エネルギーが一点に集中した瞬間があったことになる。しかし138億年前のその時、ビッグバンという大爆発が起き、今の時間が始まったと言うだけで、絶対的始まりではない。クロノスの考えでは、その前に全エネルギーが集中した時間が無ければならないから。実は、このクロノスの考え方だけでは人は生きる意味も希望も見いだせない。伝書の書3:1に「すべてのことには定まった時があり、天の下の全ての営みに時がある」とあるように、聖書は時間についての考え方はそれとは違い、ただの連続ではないと教える。全てのものは無から有を創造する神の働きによって存在していると。存在し始めたその時をカイロス「時」と呼ぶ。クロノスが量を表すのに対し、カイロスは意味を持つその「時」を表す。

 私達はこの世に偶然生まれたのでも、時間連続の必然性により生まれたのでもない。神の御旨により生まれ、生きている。私達の存在そのものに神の目的と理由がある。クロノスで考えるなら、私という体を形成している細胞の遺伝子に組み込まれた情報は先祖から受け継いだもので、子孫に受け継がれていく。遺伝学的には私は永続的に生き続ける。しかし私という人間はこの世に誕生した「時」、カイロスから新しく形成され続けている。その様々なカイロスの積み重ねにより成長している。私が生きる時間は、神により新しく創造され、創造され続けている時間。つまり私という人間は常に神と共に生きている。そしてこの世での命が終わった後も、天の御国において神と共に生きる。だから伝道の書3:11に「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた」と言う。神によるこの無からの創造が、私という人間に行われ続けている。この事をパウロは4:16で「たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新しくされている」と言う。この世の時をクロノスで考えると、見えるものが全てと考えるので、先が見えてしまい、経験や自分の能力で先の事を判断して失望し、虚無感、絶望感から自殺に追い込まれる人もいる。しかし、カイロスで自分の人生を考えるなら、全て見えるものには「始まりと終わり」があること、その全てが神の御手により行われていると知ることが出来る。だから、パウロは「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を止めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠だからです」と教える。一時的なものに惑わされず、私の人生の全ての時を創造し、支配する永遠の主に目を留めていよう。そうすれば私は永遠に生きていると知り、希望を持って今日を、そして明日を生きられるから。