メッセージ(大谷孝志師)

私達も神の預言者
向島キリスト教会 聖日礼拝説教 2022年5月22日
聖書 エレミヤ26:8-16「私達も神の預言者」

 私達は原則をいて第四聖日に旧約聖書を通して御言葉を学んでいます。今学んでいるエレミヤ書を書いたのは、約2600年前にユダヤで活動した預言者です。しかしこの書には「私は」という一人称の主語と「エレミヤは」という三人称の部分があります。ですからこの書は、エレミヤが自分の言葉を書き留めて置き、それを彼の書記であるバルクに口述筆記させた文書と考えられています。しかし、他の聖書に収めれられた文書と同じように、神が、過去や現在の歴史的事実を通して、人々に御旨を伝え、神の民としての正しい道に導く為に、御霊が導き、書き記させた書物として読むことが大切です。この書に記されている多くの警告は、確かにユダとエルサレムの人々への警告ですが、同時に、今の世の人々と教会に集い、主を礼拝している私達への警告でもあります。その事を思いつつ、静かにみ言葉に耳を傾けましょう。

 さて、エレミヤは神殿で、神に民全体に語れと命じられたことを語り終えると、以前に、自分達の信仰の宗教的儀式や慣例が間違っていると彼に指摘された祭司と預言者達と彼らに扇動された民衆が彼を捕らえ、神殿の前に立たせました。エレミヤは、神がこのエルサレムを破壊し、誰も住むところのない廃墟とすると、神に告げよと言われたと言う。しかし、神がそのような事をする筈はないので、彼は神の名を騙るに偽預言者だから必ず死ななければならないと言い、彼を裁判に掛けたのです。その事を知ったユダの首長達が来て座に着き裁判が始まりました。祭司達と言者達は、神と人々の間に立ち、神に執り成しをし、御心を知らせる大切の役目の人々です。ですから、神はイスラエルの神であり、この民を祝福し、活力を与え、繁栄させ、死や挫折から守っていると教えていました。その事の象徴がエルサレム神殿の存在だったので、それを神が破壊するとは考えられなかったのです。民衆もまた、宗教儀式や慣例が持つ誤った外面的真実性に惑わされ、自分達が神に背いた生活をしている事に気付いていないのです。ですからエレミヤは、神殿があるから自分達は神の祝福を受け、安心なのではなく、自分達の生き方と行いを改め、自分達の神である主の御声に従わなければ神はご自分の民を滅ぼすと告げよと命じられ、彼らに警告しました。北イスラエル王国は、既にアッシリアに滅ぼされていました。しかし「ユダとエルサレムの人々」つまり南ユダ王国はバビロニアの脅威は感じていたものの壊滅的攻撃がまだ無かったのです。それで人々は、安全だと言う祭司や預言者の言葉が偽りと気付けず、神殿で礼拝している自分達の外面的信仰に満足していたのです。自分達が神に背いているとは思いもしなかったのです。しかし神は 、悪の道から離れず、背き続ける自分の民を見捨てませんでした。神は正に「罪を憎んで人を憎まず」なのです。彼らに度々預言者を遣わし、律法を守り、自分の僕である預言者達の言葉に聞き従うようにと求め続けていたのです。罪を憎んで人を憎まないかだからこそ、神は従わない人々に、エレミヤにみ言葉を語らせたのです。しかし、彼の警告を聞いた祭司達と預言者達は、神がこの神殿を破壊する筈はないので、彼の預言は偽りで、彼は死刑にあたると、ユダの首長達と民全体に訴え掛けたのです。しかしエレミヤも黙っていません。それを聞いて「さあ今、あなたがたの生き方と行いを改め、あなたがたの神主の御声に聞き従いなさい。そうすれば主も、あなたがたに語ったわざわいを思い直されます」とその人々にはっきりと告げました。彼はこの世の圧倒的力を持つ人々に死刑を求刑され、彼らに同調する人々の手中に自分がいると認めています。しかし彼は主の預言者なのです。だから堂々と真実を語ります。私達も、主の預言者となって、真実を語ることが求められています。

 とは言え、主のみ言葉を聞き取れなければなれません。聖書には彼に告げられた言葉が、人の声のようなものか、心に響いた言葉か心に浮かんだ言葉かは書いてありません。どちらにせよ、彼は自分に示された主の言葉を人々に語ったと聖書は記し、彼の言葉を聞いた祭司達と預言者達は、偽りの預言と判断、死刑に当たるとし、首長達と民全体は、彼が主の名によって語ったので死刑に当たらないと判断したと記します。ここに神が御力をもって介入し、人々の心を動かしたのです。教会の歴史の中で、この事が起き続けています。教会は神の教会であり、神の支配する世界に置かれているからです。

 主が彼に命じたように、私達にも主は語れと命じています。主は人々が悔い改めて主を信じ、救われ、永遠の命を持つ者となることを願うからです。主は、ユダの人々が悪の道から立ち返るなら、災いを下さず、滅ぼさないとの御言葉を彼に告げさせました。しかし私達には聖書の言葉を与えています。世の人々が福音に耳を傾け、永遠の命に至る狭い門に向かう細い道を見出し、その道を歩むなら、世の終わりの日、再臨の主に裁かれ、永遠の火に投げ込まれ、滅ぼされることはないと聖書に記されているからです。確かに自分には、御声は聞こえないと思うかも知れません。しかしパウロはローマ10:16で「彼らは聞かなかったのでしょうか。いいえ、むしろ『その響きは全地に、その言葉は世界の果てにまで届いた』」と言っています。主の御声は私達に届いているのです。私達はこの神の教会に招き入れられ、神の支配する世界に生きているのです。心を鎮め、御霊の助けと導きを求めましょう。主の御声わ届いています。主は私達に世の人々の為に聞き取ることを求めています。主は私達が、人々の為に主のみ言葉を告げる預言者になるよう望んでいます。

 エレミヤは結果を恐れませんでした。預言者の自分は主のみ言葉を告げ、主の御心を行っているからです。主が共にいるからです。聖書は主が人々が悪の道を離れ、神に立ち返る為に、彼を護り、預言者として活動させ続けたと教えます。今、主は預言者となることを私達に求めています。世の人々の救いの為に、私達が御言葉を語り、御心を告げ、重荷を負うことを求めています。私達の働きを必要としている主は、私達の救いの為に十字架に掛かって死なれた主、命を捨てた主です。主が、主イエスの存在と愛を知らない人々の為に私達に語り掛けています。救いの道があるのを知らずに滅びの道を行く大勢の世の人々がいるからです。主がその人々を見詰めています。神の預言者という重荷を、自分の十字架として負って、主に従って行きましょう。