メッセージ(大谷孝志師)
聖霊が生き方を変える
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2022年6月19日
使徒5:12-32「聖霊が生き方を変える」 牧師 大谷 孝志

 聖書には不思議な出来事が数多く記され、今日の個所にも使徒達が多くのしるしと不思議を行ったとある。しかしその前にアナニアとサッピラ夫妻のことが記されている。夫妻が土地を売り、アナニアが妻も承知の上で代金の一部を自分の為に取っておき、一部だけを持って来て、使徒達の足下に置いた。アナニアは神を欺いたとのペテロの言葉を聞くと、息が絶えた。その三時間後にペテロの所に来た妻も、何故主の御霊を試みたのかと彼に言われ、息絶えた。そして教会全体とこれを聞いた全ての人達に大きな恐れが生じた。この恐怖は単なる未知のものや罪を犯した者に下される死への恐怖ではない。自分達が信じ、礼拝している神を欺き、御霊を試みた者に示した神の峻厳への畏敬。神に触れることによって感じた恐怖。神が共にいること、神の子とされていることは確かに素晴らしい恵み。

 ペテロとヨハネは、祭司長や長老達、律法学者達の前で堂々と主イエス・キリスト以外に救いはないことを伝えたが、二人を罰するすべがなく彼らを釈放した。彼らを迎えた人々は神に感謝し、ユダヤの指導者達に脅えることなく、御言葉を大胆に語らせて下さい、御手により癒しと徴と不思議を行わせて下さいと祈った。すると一同は聖霊に満たされ、神の言葉を大胆に語り出した。そして全てを共有し、一人も乏しい者がいない素晴らしい神の国が地上に実現した。その後に起きたのがアナニアとサッピラの事件。確かに人々に大きな恐れが生じたが、人々の神への思い、信仰は全く変わっていない。神が使徒達とその仲間の祈りに応え、使徒達の手により、多くのしるしと不思議を神が行わせ続けたから。

 そして信じる者がますます増え、男も女も大勢になった。しかし聖書は真の信仰とはほど遠い異常な光景を記す。人々が病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロが通りかかる時に、その影だけでも病人の誰かにかかるようにしたから。人々は、ペテロの手を通して人々が癒されたので、彼にその力があると思った。しかし私は16節の「大勢の人が病人や汚れた霊に憑かれた人を連れて来た。その人々はみな癒された」が「人々は病人や悪霊に憑かれた人々を皆イエスのもとに連れて来た」が、イエスが多くの人を癒し、悪霊を追い出した(マルコ2:32-34)に重なることに気付いた。聖書は弟子達の手により人々が癒されたが、そこには目に見えない主が共にいて、主が彼らを癒したと暗示している。

 苦しむ人を連れて来た人々がそう思ったように、ユダヤの指導者達も人である彼らがしたと思った。だから彼らを捕らえて牢に入れた。しかし夜、主の使いが牢の戸を開け、外に連れ出し、宮の中で福音を伝えよと命じ、彼らはそうした。人は御心を阻止できないと聖書は教える。彼らは再び捕らえられるが、人に従うより、神に従うべきと明言し、指導者達が木に掛けて殺したイエスを神はよみがえらせ、救い主としてご自分の右に上げた。私達はその証人で、聖霊も証人と言い切る。指導者達は怒り狂い、彼らを殺そうと考えたが、後にパウロの律法の師となるガマリエルが説得に立ち、彼の意見に従い、むち打ちと宣教禁止を命令しただけで使徒達を釈放した。
 使徒達は、聖霊により御言葉を語り、病人を癒し、汚れた霊を追い出したが、私達と同じ人間。しかし聖霊に満たされると、彼らは大胆に主の御業を行い、人々を苦しめる悪から彼らを解放し、自由と喜びの人生を歩む者とした。聖霊は、使徒達を、苦しむ人々の生き方を変えた。聖霊は私達の、家族友人知人のの生き方も変える。聖霊の満たしを祈り求め、聖霊に満たされて新しい人生を歩もう。