メッセージ(大谷孝志師)
罪人を主が招くから
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2022年7月3日
マルコ2:15-17「罪人を主が招くから」 牧師 大谷 孝志

 主イエスが取税人や罪人達と一緒に食事をしている。この人達の喜びはどんなにか大きかったかと思う。彼らは律法を守らず、神の背く仕事をしていた人々で、ユダヤ社会から疎外され、神の民イスラエルの一員とは認められていなかった。でも、その社会の中で現に生きていた人達。彼らを仲間として受け入れ、一緒に食事をしている主イエスは本当に優しい方、素晴らしい方と思わないだろうか。

 何故主は、彼らを受け入れたのか。それは彼ら一人一人も神が造られた人間だから。神が救いの手を差し伸べている人間だから。人間、好きで罪を犯す人はいない、と私は思う。罪を犯して平気でいられる人、不幸になりたいと思っている人もいないと思う。でも、どうしても人は罪を犯してしまうことがある。マスコミの報道を見ても、あの人がと周囲の人が驚く人が罪を犯す。しかしそのニュースを見て自分がそのような罪を犯さなかったことに安堵するようなことはないか。でも、その人の身内だったら、その人の親等の家族だったらどうか。思っただけでも身震いするのではないか。しかし、主は取税人や罪人を自分の親しい仲間のように受け入れた。そして、どんな人でも神の家族だと教えた。

 しかし、「朱に交われば赤くなる」というように、人は易きに流れる。また「悪貨は良貨を駆逐する」とも言う。人の長所は認めにくく、学びにくい。だが短所に惹かれ、同じ事をしてしまい易い。だからパウロの手紙を読むと、コリントの教会に「兄弟と呼ばれる者の中で、淫らな者、貪欲な者等々とは付き合ってはいけない。一緒に食事をしてもいけない」と言う。彼はこの教会の弱さを知るからそう勧めた。この教会に限らず、人は弱い。だから悪に交わることに警戒しなければならない。しかし、自分達の秩序を守る為に、それを守れない人、仲間と認めたくない人を排除してはいけないと主は教える。昔、深刻ないじめに遭い、追い詰められて給食に農薬を入れた中学生がいた。彼女がそこ迄追い詰められた気持ちを思うといたたまれない。それ以外の道が見えずに、罪を犯し、その罪の重さに耐えきれず、彼女は自首をした。人が人を仲間外れにした結果がいかに悲惨であるかを知らされる。しかし主はどのような人でも神の家族として包み込めと教える。人は誰でも罪を犯す可能性を持つ。そして罪を犯すと更にその罪が新たな罪へと繋がってしまう。これは悲しいこと。しかし主イエスがその悲しい流れ、循環を断ち切ってくれると知ろう。主は言う。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく、病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」主イエスはどんな人であっても受け入れてくれる。ルカ18:11のパリサイ人が自分が罪人でないことを感謝したように、自分が罪人と認めるのは、他人を罪人と認めるのに比べて、格段にと言うより、不可能に近いのが現実では。

 しかし、教会の交わりがそうであったら、教会ではなくなってしまう。私達は今日の主の言葉を心に刻み直そう。そして、自分が主に招かれている罪人であると知ろう。真の解放を味わえる。それだけではない。教会の人々が皆、主に赦され、受け入れられた罪人と共に認め合えば。教会の交わりが濃く深くなっていくと知ろう。相手を裁くのではなく、主にある家族として受け入れ合うことができる。このように、人の間にある心の中垣を取り除き、互いに喜んで共に生きる人生を与える為に、主イエスは十字架に懸かって死んで、復活し、一人一人と共にいる。私達は先ず、罪人の自分をこの教会の交わりに招き入れてくれた主に感謝しよう。