メッセージ(大谷孝志師)
聖霊が生き方を変える
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2022年7月10日
使徒5:17-32「聖霊が生き方を変える」 牧師 大谷 孝志

 聖霊降臨の後、使徒達により多くのしるしと不思議が人々の間で行われた。エルサレムだけでなく、付近の町々から大勢の人が病人や汚れた霊に苦しめられている人々を連れて集まり、その人々は皆癒された。明治になり、キリスト教が本格的に伝道を始めて150年近く経つが、終戦直後の一時期を除きキリスト教は余り目覚ましい発展を遂げていない。人口の1%前後を低迷、日本の福音化は程遠い現状。しかし聖書を読めば分かるが、伝道にはいつどんな場所でも困難は付きもの。

 使徒の働きを見ると、使徒達は度々伝道活動をユダヤ人議会から禁止された。しかしそれにはお構いなしに、彼らは人々に福音を伝え続けた。今日の個所では、それがサドカイ派の人々の妬みと憤りを買い、彼らは捕らえられ、留置場に入れられた。しかし、主の使いが牢の戸を開けて彼らを連れ出し、「行って宮の中に立ち、人々にいのちのことばを全て語れ」と命じ、彼らはその通り福音を宣べ伝えた。

 ユダヤ最高法院の人々はエルサレム中に福音の大きなうねりが生じているので、それを押さえ込む為に、牢にいる使徒達を引き出し、尋問しようとしたが、牢獄には鍵が完全に掛かっていて、番人達が戸口に立っているのに中に誰もいなかった。皆が当惑していると、神殿で使徒達が神殿で福音を伝えているとの知らせが入り、守衛長達が行き、そっと彼らを連れて来て最高法院の中に立たせた。

 使徒達は何故そのように福音を伝えることに熱心だったのか。それは、@主がそうしなさいと命じたから。Aそれがいのちの言葉だったから。B人々にそれが必要だったから。では、彼らは何故迫害を恐れず語ったのか。@彼らの手により多くのしるしと奇跡が行われたから。A世いる彼らに十字架と復活の主が共にいたから。B宗教指導者達が妬みと怒りに燃えていても、民衆からは尊敬され、彼らの味方だったから。

 使徒達は4:3にあるように「無学な普通の人」。主に弟子に選ばれ、訓練を受け、悪霊追放の権威も与えられ、全てを捨てて従ってはいたが、聖書には、彼らが主がしようとしていることを本当には理解していないこと、自分がもっと良いものを得られると考えていたことが良く分かる。彼らも普通の人間だから。しかし主と共に生活する中で、充実した希望に満ちた生活へと変わってきてはいる。

 彼らは自分の為だけに生きていると思わないし、弟子の一人の自分に誇りも持ってはいた。しかし、その根の部分は少しも変わっていなかったことが、主の十字架の時に明らかに。その弟子達と私達には共通するものがあるのでは。教会や主や世の人々のことを考えていると自分は思っていても、結局は自分の為、自分第一だったと反省することがあるから。自分という堅いしっかりとした殻の中から、主よ主よと言っているだけの自分ではなかったかと。

 しかし弟子達は変わった。@主の十字架の死と復活により、その殻から抜け出せる新しい生き方があると知らされた。Aそれを皆と一緒に、真剣に祈り求めた。B彼らの祈りに応えて聖霊が弟子達に与えられた。だから、彼らは何ものも恐れず、自分の思いではなく主の思いを第一にし、様々な妨害を撥ね除けて、大胆に福音を語り続けた。聖霊が彼らの生き方を変えた。彼ら自身の為だけではない。世の人々の為でもあった。

 福音を聞き、主イエスを信じることは、人の生活に大きな変化を生じさせる。それは。それ迄のこの世の生活では味わえない喜びと平安をもたらす。しかし主はそこから一歩を踏み出せと命じる。あの使徒達のように、聖霊に満たされ、根から変えられよと命じる。それが今、私達が主を礼拝している第一の目的だからと。