メッセージ(大谷孝志師)

最高の人生ここにあり
向島キリスト教会 聖日礼拝説教 2022年7月17日
聖書 コロサイ1:1-8「最高の人生ここにあり」

 コロサイ人への手紙をこれから第3週に学んでいきます。この手紙は4:18に「私が牢に繋がれている」とあることから、パウロが牢獄で書いた幾つかの獄中書簡の一つで、ローマで、紀元60年頃に書いたと考えられています。

 1,2節は挨拶です。パウロは他の手紙と同じように、自分がどのような者であるかを先ず始めに明らかにします。彼がこの手紙を書いたのは、この教会の人々にキリスト者として正しく生きるとはどういうことかを教える為です。しかし獄中にいて、手紙でしか教えることができなかったので、彼らが正しく手紙の内容を理解するには、自分が何の権威でこの手紙を書いているかを知らせる必要があったのです。発信者としてテモテの名を加えたのは、共同執筆者だからではありません。これが私信ではなく、神にキリストの使徒、諸教会に福音を正しく伝える使命と役割を与えられた者としてこれを書いていることの証人として彼らもよく知っていたテモテの名を書き加えたのです。

 彼は先ずこの教会の人々を聖徒と呼んでいます。他の教会への手紙でも、受取人を聖徒と呼びますが、彼らの信仰生活の素晴らしさを褒めた言葉では無く、彼らが神の恵みにより、キリストにあって聖い者された事実を彼らに思い起こさせ、心に刻ませる為なのです。パウロ大先生にそう呼ばれるのは当時の人々にはとても嬉しいことだったでしょう。しかし彼らを喜ばせる為ではありません。自分達が教会に繋がっているのは、キリストに聖なる者とされているからなのだと、彼らの心をしっかりと主に向けさせる為なのです。

 そして、彼らに欠かすことが出来ないもの、最も必要なものとして、父なる神よりの恵みと平安が彼らにあるようにと祈ります。これは私達にも必要なものです。それらがあるから、私達はここにいるからです。続いて彼は、当時の手紙の習慣に従い、相手の為の祈りと感謝の言葉を述べます。彼が、父なる神に祈り、感謝していることは重要です。この手紙では、恵みと平安は父なる神からですが、他の手紙では、父なる神と主イエス・キリストから与えられるようにと彼は祈ります。しかし、祈り感謝する相手は一貫して父なる神です。イエスは私達の主であり、キリスト、救い主です。それは父なる神の御心の実行者だからなのです。人は神の姿を思い浮かべられません。しかし私達には、今は目に見えなくても人としてこの世に生きた主イエス・キリストがいます。その姿を聖書を通して思い浮かべられます。人はその主を通して父なる神から恵みと平安を頂いている、と彼は教えているのです。

 次に彼は、その感謝の内容を、彼らの信仰と愛と希望について教える形で記します。4節で「イエス・キリストに対するあなたがたの信仰」と言いますが、原文は「キリストにある信仰」です。十字架と復活の主を思い浮かべ、見上げ、主イエスを信じて、人は救われます。これは真理です。しかし恵みと平安を与えるのが父なる神であるように、救うのは父なる神です。パウロは、主イエス・キリストの十字架と復活により、そしてそれを知らせた聖霊の助けにより、私達は真の神、父なる神を信じる者となれたと教えています。

 これがパウロが伝える神の福音です。彼らがこの福音を信仰の原点として、しっかりと立ち続けていると聞かされて、父なる神に感謝しているのです。

 続いて彼は、彼らが全ての聖徒に抱いている愛をも聞き、神に感謝します。彼らはイエス・キリストとの霊的交わりにより真の信仰者になりました。彼らが抱いているその信仰と全ての聖徒に対して抱いている愛を彼は並べます。私達も目に見えないイエスを主、救い主キリストと信じていますが、その信仰は目に見える人を愛することで、他の人に確認できるものとなるのです。愛が信仰の具体的現れだと知ることが、私達にとって大切と教えられます。私達は自分が主に愛されていると知り、自分も主のように生きようとします。その信仰が隣り人を愛するという行いに現れるのです。しかし現実には、教会の交わりの中で、躓いたり、この人は愛せないと思うことがあります。それらは教会を壊そうとするサタンの誘惑です。

 しかし、福音の真理の言葉を与えられている私達は天に蓄えられている御言葉に望みを置き、感謝と喜びを持って、教会で、この世で生きられると教えます。しかし人は今、主に栄光ある者とされていると自分を見ることはできないので、弱く、分からない、惨めな自分でしかないと思ってしまいます。しかしパウロはそのような彼らの為に祈る時、いつも神に感謝しています。彼らが与えられたみ言葉に押し出されて、この世に生きていると聞いたからです。彼らは、今は栄光に輝く自分を目にできなくても、主を信じて生きる喜び、主に愛され、豊かな恵みを与えられている自分を自覚して生きていたからです。それだけでなく、永遠の命を与えられ、世の終わりに栄光に輝く朽ちない霊の体に換えられ、御許に主と共に生きるとの望みを与えられていると心に刻み込んでいたからです。

 パウロは、このように彼らが神の恵みの福音を聞いて本当に理解したことを心から喜んでいます。そして世界中で起こっているように、彼らの間でも福音が実を結び成長していると知り、信仰と希望と愛に満ちた彼らの教会を祝福しています。そして7節で、彼らは福音をそういうものとして、エパフラスから学んだと言います。この言葉から、この教会がパウロの伝道により誕生したのではなく、パウロの指導を受けた同労者であるエパフロスの家で集会が始められ、教会へと成長したと考えられています。彼は良い連絡係となってこの教会の状況をパウロに知らせていたのです。しかし、パウロがこの手紙を書く時、獄中にいるパウロの身近な所にいたので、「あなたがたの為にキリストに忠実に仕える者であり、御霊によるあなたがたの愛を、私達に知らせてくれた人」と彼について記しています。パウロはこの手紙で、冒頭のこの教会の人々についての神への感謝の言葉に続いて、彼らの為の祈りと福音の真理の丁寧な教えを記していきます。その中で、キリスト・イエスはどのような方なのか。その主を受け入れ、キリストのあって歩むとどういうことか、その為には、この世においてどのように生きたら良いのかを詳しく、優しく教えていきます。この手紙の最後には、彼の同労者や主にある兄弟姉妹への深い配慮と優しい心遣いが溢れています。この手紙を通して、主イエス・キリストを信じて生きるの素晴らしさを共に味わうことができればと思います。