メッセージ(大谷孝志師)
人のせいにしない強さを
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2022年7月17日
出エジプト16:1-8「人のせいにしない強さを」 牧師 大谷 孝志

 イスラエルの人達がエジプトを脱出したのは、約3300年前と考えられている。しかしこの昔の出来事は、今の私達にとっても大切な数多くの事を教えている。

 私達は、今自分が置かれている状況に満足しているか。自分が思う理想通りの生活をしているかと言えば、そうではないと言う人が殆どだと思う。私達はよりよい状態を望んでしまう。よく言えば向上心を誰もが持つ。だからその為に努力しようとする。しかし一つ間違えると不満の固まりになってしまう。更には、こうなったら、ああであったらと自分にとって良い方向の事だけを考えてしまう。

 そして、自分の力ではどうにもならない羽目に落ち込んでしまうと、事態は更に深刻に。自分を含め家族みんなが幸せでいたい。誰でもそう思うが、誰でもそうなれる訳ではない。努力したからと言って、理想通りの道を歩める訳ではない。だからその後の歩みは、人によって変わってしまう。前向き、肯定的に物事を考える人もいれば、後ろ向き、否定的な考えから抜け出せない人も。

 主イエスを信じる私達はどういう生き方をしているだろう。主の祈りで「御心が行われますように」と祈る。世の人から見れば、ただの神頼みの人生にしか見えないかもしれない。自分の人生だから自分で努力しなければ。それは自分に与えられた責任だよ、と人は言う。イスラエルの人々はエジプトでの奴隷生活の中で、もっと自由で楽な生活がしたいと真剣に求めていたと思う。人は誰も自尊心、自負心を持つ。そして幸せを感じられる生活レベルを目指し、安心できる環境の中で生きたいと願う。人として当然。彼らはいつ自分が殺されるか分からない状況で生きなければならなかった。極限状態の中でも最大限の努力は重ねていたと思う。だが神に求めれば何とかなると考えていられるレベルではなくなっていた。

 私達はどうか。主に求めれば神に与えて戴けると信じて、世に生き、信仰の恵みを与えられているのは確か。しかしそれだけではない。主を信じているから大丈夫と安心しているだけではない。何もしない訳ではない。私達には素晴らしい手本が与えられている。主イエスのように生きよう、主に喜ばれる生き方をしようと考え、実行している。勿論完全にではない。人間だから限界はある。しかし素晴らしいのは、これで良かったと振り返ることができ、感謝できること。主を信じ、主の助けと守りの中で生きているので、そのような人生を歩んでいられる。

 エジプトを脱出したイスラエルの人々は、神が自分達の願いを叶え、希望を与えたと喜び感謝した。しかし約束の地カナンへの旅は、彼らにはエジプトでの生活以下。彼らは主の代弁者であるモーセに向かって呟いた。彼は主に選ばれ、人々を導いたが、彼に海を二つに分け、乾いた道を作る力、岩から水を噴き出させ、ウズラを飛来させる力はない。主の民なら主に直接言うべきだった、それが怖いから、彼を責めてしまった。人は弱いところに責任を求めてしまう弱さを持つ。

 主は他人を通して、私に働き掛けている。しかしその人も私と同じ弱さも足り無さも持つ。だから、問題が生じるとその原因や理由をその人に求めてしまう。直接言えれば良い方で、多くの場合、心の中に鬱積させたり、第三者に愚痴ったりして、心を落ち着かせようとしてしまう。それに尾鰭が付き大事になる場合も。

 私達は、人のせいにして自分を誤魔化さずに、祈りつつ、聖書を読み、主との交わりの中で、真の原因と理由を知らせて頂ける。主が必要なものを与え、示す。それにより自分の内に確信が生まれ、前向き、肯定的にこの世に生きていられる。