メッセージ(大谷孝志師)
何が一番大事ですか
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2022年8月7日
コロサイ3:12-17「何が一番大事ですか」 牧師 大谷 孝志

 聖書は私達に「いつも感謝していなさい」と命じている。しかし自分の生活を振り返ってみよう。いつも感謝していただろうか。感謝するより呟くことの多い人生を送っていないか。人は、相手の良い所や長所を見つけるのと、悪い所や欠点を見つけるのとどちらが上手かと言えば、悪い所や欠点なのではないか。自分の良い所はなかなか認めてもらえず、悪い事をしたら直ぐに見付かってしまったという経験を過去に持つ人は教会の中にもいると思う。

 レッテルを貼られるということがあるが、自分は人に嫌われたり、嫌がられたりする人間ではないと思っても、周りの人はそう見てくれず、冷たい目で見られることもある。これくらい嫌で辛いことはない。自分が生きる社会でそのように見られたら、そこは正に針のむしろになってしまう。人は誰でも、自分が自分を見るように他人に見られたいと思う。それも欠点ではなく長所を。勝手なものだが、それが人間だと私は思う。疲れるが、でも世の中の多くの人が、そんな自分と相手を相手にしながら、頑張って、そして懸命に生きているのでは。

 私も教会に来る前はそんな生き方をしていた。普通の世の人に比べて短い期間しかその生き方をしないで済んだ。高二のイースターに受浸し、キリスト者になったから。伝道者の書12:1に「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」と有る。その勧めは正しい。私は私の造り主、真の神様を信じ、主イエス・キリストを信じて、本当にホッとした。相手を心から赦せ、自分が赦されて生きられると知り、何の不安もなく、相手と一緒にいられるようになったから。とは言え、自分の醜さや嫌らしさが消えてしまったのではないし、他人のそれらが見えなくなったのでもない。キリスト者になった当初、相手が自分のことを理解しないと牧師に泣いて訴えたこともあった。他のキリスト者の言動に腹を立て、こんな教会に二度と来るかと思ったこともあった。しかし不思議なことに、普通だったらとても耐えられないようなことが耐えられるのが教会。御霊が一人一人の心を守り導くので、心で相手と向き合うことが出来、心一つに、力を合わせて目標に向かえるのが教会。人だから人に自分の弱さを知られたくないと思う。しかし教会では、自分の弱さを隠す為に相手のあらを探したり、弱さをほじくり出す必要が無い。

 そのような生き方が出来るのは何故か。それは私が神に選ばれた者、愛されている者、聖なる者だから。世の人は自分を聖なる者、聖人と言うとおかしいと思う。しかしパウロがその手紙で言うように、キリスト者は皆、聖なる者。だから、世の人が言う「聖人君主」ではない。神の恵みと平安が体全体を満たし、味わえるのが聖なる者。ただそれだけ。だから、それでもクリスチャンかと言われることもある。でもその人がキリスト者になれば判る。人は全て罪人で、主イエスの十字架と復活によって救われ、自分が新しい人になったので、自分の罪を素直に認め、相手の弱さも含め全てを受け入れて大丈夫と知り、共に生きられると分かる。

 一番大事なのは、豊かな財産でも、地位や名誉、温かな家庭でもない。「神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切。謙遜、柔和、寛容を身に着けること。互いに忍耐し合い、不安を抱いても表に出さず、互いに赦し合えること」。並べ立てると多過ぎて判らなくなる。だからパウロは言葉を換えて言う。「主があなたがたを赦して下さったように、あなたがたもそうしなさい」と。聖書を通して知る主イエス・キリストのように生きる。これが一番大事な事。