メッセージ(大谷孝志師)
知るだけでなく悟る人に
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2022年8月21日
マルコ8:14-21「知るだけでなく悟る人に」 牧師 大谷 孝志

 今日の箇所は、天からのしるしを主に求めたパリサイ人達を離れ、舟に乗って、向こう岸に渡る途中の主と弟子達との対話。パンを持ってくるのを忘れたことに気付いた弟子達に「パリサイ人のパン種とヘロデ党のパン種には、くれぐれも気を付けよ」と主は命じた。突然の命令に困惑した彼らは、パン種から自分達がパンを持って来なかったからそう言ったのだと思い、責任が誰にあるかを議論を始めた。しかし主がそう命じたのは、彼らの内に正すべき重大な問題があったから。

 パン種は粉を膨らます物。ユダヤでは人の心の中に入り、人を神から引き離す悪の力をパン種と呼んでいた。主はパンを忘れたことで、サタンに隙を与え、心にパン種を挿入されないように気を付けよと彼らに命じた。パリサイ人はイスラエルが神の民として正しく生きる為に与えられた律法を厳密に守るよう心掛け、庶民に教えていた。しかし人の言動は十人十色と言うように様々、それと共に善悪の基準も千差万別。だから、昔から、このようにすれば律法を守り、神に喜ばれる者となれるという教えを作り、次の世代に受け継がせていた。それが7:5の「昔の人達の言い伝え」。しかしそれは人間の教え。だから主は7:9で「あなたがたは、自分たちの言い伝えを保つために、見事に神の戒めをないがしろにしている」と言った。神の戒めはどう守るかでその時と場、人によって異なり、何が御心か分かりにくいが、人が作った戒めは分かり易い。そこでその教えに頼ろうとするのが「パリサイ人のパン種」。ヘロデ党のパン種は、6章のバプテスマのヨハネへのヘロデ王の対応が一つの例。彼は自分を非難するヨハネを捕らえ、牢に入れたが、彼は正しい聖なる人と知り、その教えを喜んで聞いていた。ある時、その場の雰囲気で、彼を殺さざるを得なくなり、首をはねて殺した。この二つの例のように、神の大切さ、教えの素晴らしさを知っていても、何が神に喜ばれるかを悟れないと、サタンに隙を与え、心が神から離れてしまうので、気を付けよと主は教えた。

 人は完全ではない、間違いを犯す。これは仕方のない事。問題はその時、その原因を追及し合い、誰の責任かを明らかにしようとすること。そうでは無く、人が、自分達が主イエスと共にいることが何を意味するのかを悟ることが大切。勿論、弟子達は自分達が主イエスを共にいると知る。しかし主が神と等しい方であると悟れなかった。そこで、主は彼らに二つの給食の奇跡を思い起こさせる。

 しかし彼らは数も籠の種類も覚えていたし、主が神の力により奇跡を行ったのも判っていたが、主が何故それを行えたのか、そこにどんな意味があるのかを悟っていない。

 私達は主を礼拝している。主が十字架に掛かって死んで復活し、今も生きて働いていると知るから。しかし約二千年前に何故それが起きたのか悟っているか。神の力がこの世に突入したからと本当に判っているか。この世に、全く新しい事が起きたと判っているか。主は礼拝や集会毎に、私達に「あなたは何故今、ここにいるのか」「何故ここに教会があるのか」「周りを見てご覧。何故これだけの人が礼拝に、集会に来ているのか」「私はあなたにとって主なのか」と問い掛けている。そして私達はその問いには答えられる。しかし主はその私達に「まだ悟らないのですか」と言う。主は私達の信仰生活を見て、まだ悟れないでいると知る。

 パウロはコロサイ1:9で「あなたがたが、あらゆる霊的知恵と理解力によって、神の御心についての知識に満たされるように」と言う。御霊の助けを求めよう。そして、主が私達がいる所に、いつも共にいると悟り、その主と共に生きていよう。