メッセージ(大谷孝志師)
信じる者を護る神
向島キリスト教会 礼拝説教 2022年9月25日
ダニエル1:8-16「信じる者を護る神」

 ダニエル書には、紀元前6世紀にイスラエルの人々がバビロンで捕囚の民として、その後、バビロニアを滅ぼしたペルシアのキュロス王の治世の世界で生活していた時の事が記されています。イスラエルの人々が捕囚の民となったのは、彼らの信仰が上辺だけのものなり、自分達の神を信じながらも、異教の神々を罪悪感を持たずに礼拝していたからです。神は彼らを裁き、バビロンに捕囚の民として連行させたのです。しかしこれは、彼らを真の神の民とする為に、神が与えた試練でした。バビロンの王ネブカドネツァルは征服した人々の中から宮廷に仕えるに相応しい少年を連れて来させ、彼らを養育させました。王が、被征服民族からも良いものがあれば吸収しようとしたからですが、彼らを通して、イスラエルの神が唯一の真の神であることが、征服者の王達に、そしてイスラエルの人々自身に明らかになっていくからです。

 さて、ネブカドネツァル王自分の側に置く為に養育しようと選んだ少年達の中にユダ族のダニエル、ハナンヤ、ミシェル、アザルヤがいました。王は、自分が飲食するものを彼らに与え、養育するとことにしました。最上の物を与えたのです。しかし異教社会では、王の食べ物の一部を先ず異教の神に捧げる習慣があり、それと同じ物を食べることは偶像礼拝をすることになってしまいます。ですからダニエルは、王と同じ飲食をすることで、身を汚してはいけないと思い、王が与える物を飲食せず、神の御前で正しくあろうとしたのです。それは王の命令を拒否することになり命の危険を伴うことでした。しかし、彼には、人に従って命を守るより、神に従うことが大切だったのです。彼は大胆に宦官の長に願い出ました。宦官の長は「そんな事をしたら、健康を害しかねない。もしそうなれば、私の首が飛ぶ」と言ったのですが、神が恵みと憐れみを宦官から受けられるようにしました。彼は彼の申し出を受け入れ、彼らの世話役に任命した者に自分達の望みを申し出て良いとしたのです。神は全ての人の神なのです。異教徒の神であり、神が罰してバビロンに捕囚の民としえ連行させらたイスラエルの人々の神でもあるからなのです。

 ダニエルは世話役に、十日間野菜と水だけを私達に与え、その後、王が食べるご馳走を食べた少年達の顔と自分達の顔を見比べて下さい」と世話役に申し出たのです。世話役は半信半疑だったでしょうが、兎に角その申出を受け入れ、十日間だけ彼らを試しました。十日が終わり彼が少年達を見ると、王と同じご馳走を食べた少年達より、顔色も体つきも良かったのです。それを見て、安心した世話役は三年間水と野菜だけを与え続けました。今も菜食主義者の人々がいますが、その善し悪しを問題にしているのではありません。神がダニエル達四人の信仰と健康を守ったと聖書は教えているのです。この事を通して私達は、自分達の神は求めるなら与えると信じた彼らの信仰を心に刻みましょう。神が彼らの心と体を守ったように、この世に生きる私達も、主に必要なものを祈り求めるなら、主は求めに答えてくれると信じましょう。

 さて、ダニエルら四人を含め全ての少年が、三年間の養育期間を終え、王の前に連れて来られました。王が彼らと話してみると、全ての少年達の中に四人以上の者がいませんでした。更に、王が知恵と悟りに関わることを尋ねると、国中の知恵ある者達に勝っていることも明らかになったのです。

 神が異教の地に住む彼らに知識とあらゆる文学を理解する力を授けたのは、異教の神を信じる王にイスラエルの神こそが真で唯一の神と知らせる為です。日本に住む私達も、仏教や神道、様々な新興宗教を信じる人々の中に生きている。バビロンの王を始めとする人々が、異教の神々が自分達を守る力ある神と信じ、礼拝していたように、日本の多くの人々も、自分達が信じる神や仏が確かに力あるものとして存在していると信じているのは確かです。道端に地蔵尊や小さな社があると、立ち止まり手を合わせる人々もいます。お宮参り、七五三、厄払い、葬式等に神社仏閣に行く人々が大多数を占める社会に私達は生きているのです。しかしその中にいる私達は「あなたがたは出て行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、私があなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい」と命じられている自分に気付こうでは有りませんか。

 日本にプロテスタントの宣教師によって福音が伝えられ130年になります。この間、この大宣教命令に従い、多くの宣教師が来日して、多くの日本人が救われ、教会が誕生してきました。しかし、福音から人々の目を背けさせようとする異教は依然として強い力を持ち続けています。これ迄も何度か日本でもリバイバル運動が起き、1883年に横浜海岸教会から始まったリバイバル(信仰覚醒)運動は、やがて日本中に広まっていきました。その後、第二次世界大戦後にアメリカのプロテスタント教会が日本の宣教に大きな力を注ぎ、私の母教会もその援助により、会堂を建て、その後、開拓伝道の資金も与えられ、伝道所を開設、今は教会になっています。とは言え、キリスト教人口は1%前後を低迷したままです。しかし現状はどうあれ「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる」と言う主は、今もこの日本にいる人々の救いを願い、多くの人々を用いて御業を行い続けています。確かに宣教は困難を極めてはいます。しかし、十字架と復活の主イエス・キリストは私達に「負けるな、私の言葉を信ぜよ」と語り掛け続けているのです。

 神がダニエル達に知恵と力を与えたのは、この少年達を用いて異教の神を信じるバビロンの王達に、異教の神ではなく、イスラエの神が真の神であると知らさせる為でした。その神を、王自身も王国の人々も褒め称えました。

 その神を私達は信じ、礼拝しています。神は御子を世に遣わし、御子の十字架の死と復活により、今も生きて働き、御子を信じる者を救い、永遠の命を与え、恵みと平安を与えてはいます。確かに、私達は幾ら祈り求めてもその祈りが叶えられない経験をしてはいます。キリスト教が「十年一日の如し」の状態も続いてはいます。しかし、この四人の神が私達の神なのです。神が行動を起こす時、人々の願い求めるものが与えられ、神の栄光が現される出来事が聖書に数多く記されています。聖書はこれを信じるかと私達に問い掛けています。聖霊が私に主イエスの言葉を示しました。「小さな群れよ、恐れることはありません。あなた方の父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです」「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました」と。自分や現状を見て怖じ惑うのではなく、勝利に輝く主を見上げましょう。私達が信じる「イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがない」方だからです。