メッセージ(大谷孝志師)
神の言葉を語るのは大変
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2022年10月16日
出エジプト4:10-13「神の言葉を語るのは大変」 牧師 大谷 孝志

 神はモーセに、エジプト人に虐げられ苦しんているイスラエルの人々を、彼らの手から救い出し、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると約束したカナンの地に導き上らせよと命じた。しかしモーセは、エジプトの王が私の言うことを信じず、主はあなたに現れなかったと言うでしょうと答える。私達も、世の人々に福音を伝えよと主に命令されている。しかし同じように、誰も私の言うことを信じないでしょう、と主に呟くことがある。本当に主の言葉が示されたのかと言われ、返事が出来ず、諦めてしまうことも。私達は天にいる父なる神を信じている。子なる神の主イエスが私達の内にいて、御力をもって守り導くと信じているが、相手の事を考えるというより、自分の心の弱さ、鈍さに囚われ、躊躇してしまう。

 主は躊躇し続けるモーセに、ご自分が共にいることのしるしを示し、イスラエルの人々が彼の言うことが事実と信じられるように、二つのしるしを与えた。更に、それらのしるしを人々に見せても彼らがあなたの声に聞き従わないなら、もっと大きなしるしを行わせると彼に言う。主のご自分の民を救おうとする情熱、熱心さを感じる。しかしその熱心さ、情熱がモーセには感じられない。自分の事しか見ていない。神の思い、同胞の痛み苦しみが自分の思いになっていないから。

 私達は、ひとり子をお与えになったほどに世を愛された神の愛を知る。私達の罪の為に十字架に掛かった主イエスの愛を知る。何故、神は御子を世に与え、主は十字架に掛かって死んだのか考えてみよう。この世の悪の力に支配され悩み苦しむ、神が造りご自分と共に生きる者として創造した全ての人を悪が支配する世界から救い出す為。この世の悪の力によって、自分の心の内に自分自身が閉じ込められているのに気付かず、全ての事を自分中心にしか考えられない自分を、自分の隣人を自分自身を愛するように愛する者に変え、神と人を愛し、神と共に生きる者に変える為。エジプト人に苦しめられ呻く人々を救い出し、約束の地カナンでの祝福された生活に導く為に、神がモーセを選び、遣わすのも正にその為。

 しかし彼は躊躇し、神の言葉を彼らに伝えるのは、自分には出来そうもないと主に言い続けた。私達は何故、主イエスを信じて救われ、闇が支配する世界から、御子が支配する光の世界に移り住んでいるのか。教会があり、福音を聞く機会があったから。そこに神の言葉を伝える人、人々がいたから。神の言葉を伝えよとの命令に従い、自分の住む地域に来て、福音を伝える人がいたから。その人々は躊躇しなかった。少なくとも私の知る限り。勿論、様々な困難や不安はあった。でもその人達を押し出す力が働いていた。私は伝道者になろうと自分が思った時、躊躇し、一度は止めた。しかし、主の光に包まれ、御言葉が響き、私は決心した。

 神はモーセに私は共にいると言い、働き掛け、エジプト王の前に押し出した。彼は神の言葉を王に、イスラエルの人々に告げた。神は彼と共にいて、それが神の意志であると彼らに明らかにし、言葉通りに彼らを約束の地カナンに導き入れた。

 私達も先ず、神が私に語り掛けている言葉に気付き、耳を傾けよう。その時、私達は心をしっかりと神に向けられる。その私達を神は主の証人とし、福音を語る者として用いてくれる。神はモーセとイスラエルの人々の為に道を整えている。私達の道も既に整えられていると知ろう。世の人々が神の言葉を聞き、救われ、光りの世界に喜んで生きるのを神が望んでいるから。神の言葉を語るのは大変なことではないと知ろう。人には出来ないが、神にはどんなことでもできるから。