メッセージ(大谷孝志師)
艱難汝を玉にす
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2022年11月20日
ローマ5:1-5「艱難汝を玉にす」 牧師 大谷 孝志

 人は順調な時でなく、逆境の時に本当の姿が現れると言う。人は一人では生きてはいけない。周囲の人達の協力があって生きていける。順調の時は、家族、友人、同僚、学校小野先生や職場の上司とかが、自分に対して好意的で、多少のミスを犯しても見逃してくれる。しかし、逆境の時は自分のする事が裏目裏目に出てしまうことが多いだけでなく、過去の自分の失敗がほじくり出されてやりきれなくなる時もある。しかし考えてみると逆境の時の方が自分の為になることが。

 順調の時はうっかりミスを犯しても、自分のミスより相手の反応を気に掛け、相手に甘え、誤魔化して何とかしようとする。自分の進歩に繋がらない。しかし、逆境の時は相手の甘さに頼れないから、精一杯努力して、自分の誠意を、今後の努力、精進を相手に認めてもらわなければならない。自分が変わる機会になる。

 箴言27:17に「鉄は鉄によって研がれ、人はその友によって研がれる」とあるように、人は人の社会の中で磨かれて行く。逆境の時は相手の欠点を見つけて非難したり、卑下して見せ、相手に気に入ろうとすることも。厳しい事を言われたり、突き放すような言い方をされても、自分を無視していないと気付き、相手が自分を見放さず、自分に欠けた所を指摘してくれたと感謝するくらいの心が必要では。今経験している辛い事、苦しい事は、将来の自分に必要な事として今与えられていると気付こう。母が「鉄は熱いうちに打て」、「若い時の苦労は買ってでもしろ」、「玉磨かざれば光無し」と教えた。これらは「艱難汝を玉にす」と同類の格言。

 人は他の動物とは違う。それは事実。しかし素晴らしい潜在能力を持ち合わせていても、それを引き出せなければ、持っていないのと同じ。苦労するのは嫌だ、楽して金を儲けたい風潮がある。だから、勉強勉強で子供に苦労させないようにするのが親の務めと考える人もいる。しかし格言を見ると、昔から人は分かっていた。人は苦しんで、悩んで成長するもの。そしてその中で本当の自分というものを見出していくものだと。パウロも自分が主に相応しい人になる為には、希望をもって喜んで生きる為には、艱難、苦難が必要と知っていた。彼は自分という人間を本当に知っていたと言える。艱難は苦しい事、厭な事、辛い事で、出来たらそんなものは味わいたくない事。しかし、だから艱難と知ろう。彼は、苦難はただ必要なだけではなく「苦難さえも喜んでいる」と言う。母は「苦労は買ってでもしろ」と教えたが、苦難は普通は自分で選び取るものではない。苦しく辛いだけでなく、自分にはどうにもならない。先が判らない。だから不安に。しかし、パウロは苦難を喜ぶ。先が見えているから。人間なのにどうして思う。それはこの世界を創り、全てを支配し、全てを知る方、真の神を信じているから。どんな苦難でも神が必要なものとして与えたと信じ、先の事を全て知る神に任せたから。

 彼は自分の弱さを知っていた。更に、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っていた。苦労することで忍耐強くなり、それによって物事に正しく対応でき、正しい対応が出来るから、相手の反応が予見でき、希望をもって生きられるようになることを経験していた。

 希望をもって喜んでいても、失望の連続なら、彼でも疲れ、意気消沈した。しかし彼の心には神の愛と力が豊かに注がれていた。彼が必要だから。神は私達が必要だから、この地に生かしている。主の良き働き人とする為に、苦難も与える。苦難により磨かれ、主の栄光を映す光り輝く玉となり、地の塩、世の光となろう。