メッセージ(大谷孝志師)
福音を伝え続ける
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2022年12月4日
使徒14:19-23「福音を伝え続ける」 牧師 大谷 孝志

 パウロとバルナバは、シリアのアンティオキアの教会にいた時、その教会の預言者や教師が主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が『さあ、わたしの為にバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と命じた。一同は断食をして祈り、二人に手を置いて送り出した。この事を聖書は「聖霊によって送り出された」と記す。二人は各地で福音を伝え続け、多くのユダヤ人やギリシア人が福音を信じた。しかし信じようとしないユダヤ人達が二人に反対し、口汚くののしり、迫害した。今日の個所は、今のトルコのリステラという町での出来事。二人が大胆に福音を伝えていると、生まれつき足が動かず、一度も歩いたことのない人がパウロの話に耳を傾けていた。パウロは彼をじっと見つめ、癒されるに相応しい信仰があるのを見て、大声で、「自分の足で、真っ直ぐに立ちなさい」と言った。すると彼は飛び上がり、歩き出すという奇跡を行った。神がパウロの言葉を御力をもって実現したのだが、群衆は『神々が人間の姿をとって私たちのところにお下りになった」と言い、バルナバをギリシア神話の主神ゼウス、パウロをゼウスの子で、神々の使者のヘルメスと呼び、二人を礼拝しようとした。二人は群衆に自分達が信じる真の神について教え、更に福音を語り、神の恵みを伝え、自分達が神ではないことを彼らに納得させた。ところがユダヤ人達が二人が福音を知らせ、群衆を惹きつけているの妬み、群衆を巻き込んでパウロを石打ちにした。彼らはパウロが死んだものと思って町の外に引きずり出した。しかし弟子達がパウロを囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った。そして、人々に福音を宣べ伝え続けると共に、弟子達の心を強め、信仰にしっかりと留まるように勧めて『私たちは、神の国に入る為に、多くの苦しみを経なければならない』と教えた。彼は何故そこ迄福音宣教に力を注いでいたのか。彼はTコリント9:16で『私が福音を宣べ伝えても、私の誇りにはなりません。そうせずにはいられないのです。福音を宣べ伝えないなら、私はわざわいです」と言い切る。私達はそこまで言い切れないかもしれない。しかし唯の義務感だけだったら、これほどの福音宣教は出来なかった筈。私達とは比べものにならない程、福音宣教の喜びを知っていたのだと思う。主イエスの『受けるよりも与えるほうが幸いである』との主の言葉通り自分が福音を伝えることにより、多くの人々が救われる喜びを味わう体験をし、それが彼の喜びの源泉になっていた。自分が救われた喜びが、人々に伝道する思いを生じさせ、伝道する喜びを味わい、伝道する喜びにより、人々が救われる喜びを味わう。この喜びの循環によって、福音が世界に伝えられ、そしてこの向島の地にも伝えられてきた。パウロが言うだけでなく、福音宣教には多くの苦難が伴うのは確か。しかし主は、彼と共にいたように、福音を伝える者と共にいて、苦難に立ち向かう勇気と力を与える。それだけではない。パウロは自分の苦しみなど、主の苦しみに比べたら物の数ではないと知っていた。

 主は、私に従って来たければ自分を捨て、自分の十字架を負って私に従えと言う。しかし、苦しみに遭わなければ主に従うと言えないのではない。主の思いを自分の思いとして主に従って生きることが主に従うこと。十字架と復活の主を見上げ、主に救われた喜びを噛みしめよう。その喜びが深く大きい程、福音を伝えたいとの思いが、この人に救われて欲しいとの思いが強くなり、相手にその喜びが伝わる。福音宣教は全ての人に喜びを生じさせ、そして何より主が喜ぶこと。