メッセージ(大谷孝志師)
外見で判断しない
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2023年1月22日
ヤコブ2:1-13「外見で判断しない」 牧師 大谷 孝志

 主イエスに様々なものを求めて集まってきた人達の多くは経済的に貧しい人が多かった。この手紙が書かれたと考えられている一世紀末から二世紀前半でも、教会に集まる人々には貧しい人が多かった。そして、金持ちと貧しい人が来た場合、金持ちを優先し、貧しい人に冷たい態度を取ることがよくあったと思われる。

 この手紙を書いたヤコブは「私たちの主、栄光のイエス・キリストへの信仰を持っていながら、人をえこひいきすることがあってはなりません」と言い、人を外見で判断すること、特に貧しい人を侮辱することを激しい調子で非難している。

 人は誰でも「金は無いよりは有った方が良い」と考える。では何故、主イエスはルカ6:20で「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがのものだからです。」と言ったのか。確かに経済的に豊かな人達より、貧しい人達の方が苦しい生活をしているという現実はある。主は、貧しさの中でも人として豊かに生きる道があると知る。でも自分の貧しさに埋もれて、自分を見失ってしまうと、自分の将来に備えられている道があり、真の幸いがあるのにそれを見出せなくなってしまう。

 だから先ず主は、貧しい人達にあなたがは幸いなのだと教えた。貴族や高級官僚、大商人の家に生まれた人は、ある程度の努力をすれば豊かな生活が保障され、現在の生活に満足できる。しかし貧しい生活をしている人はそこから抜け出そうと懸命に努力をしても成功する人は希。貧しい人は人間の努力には限界があることを知らざるを得ない。でも、物質的豊かさの中に隠れている霊的豊かさに敏感になり、無いから与える助け主なる主に求め、信仰的に豊かな者になる道は有る。

 さてヤコブは、主イエスを信じているなら、貧しい人達を辱めてはいけない、金持ちに媚びてはいけないと教える。同時に経済的に豊かな人達に、人を外見だけで判断せず、何故自分達が豊かで彼らが貧しいのかを考ええよと、問い掛ける。

 人はどうしても外見で判断しやすい性質を持つ。見える事でしか判断できない。しかし聖書は信仰において大切なのは「見える者にではなく、見えない者に目を留めること(Uコリント4:18)」と教える。相手を外見で判断するのではなく、その人と共に生きている主イエスに目を留めることが大切と。主の「これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちのひとりしたことは、わたししたのです(マタイ25:40)」も言葉もこの事をよく表している。確かに、貧しい人達は貧しさだけの理由で社会で様々な差別を受けている。薄汚れたボロボロの服を着た人とこざっぱりとした服を着た人のどちらと一緒に歩きたいと思うだろうか。しかし偉人と呼ばれる多くのキリスト者は、貧しい人達を拒絶したり、どうして働かないのかと白い目で見ず、その人々が平安な生活ができるよう力を注いで来たのでは。

 私達にとって大切なのは「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい(マルコ12:31)」との主の戒めを、人を分け隔てせずに守る事。自分なりの隣人基準を作らず、相手によって愛したり愛さなかったりをせず、主の戒めを心を込めて守ろう。主は、外見で判断し易いそのような私達の弱さを知り、全ての人が神の国に安心して生きられるよう、私達に知恵と力を与えている。主に愛されていると自分で自分を認め、相手を外見で判断せずに、その人を自分の隣人として愛そう。

 彼は読者に、自分達が神の憐れみによって選ばれ、信仰に富む者とされ、神の国を受け継ぐ者とされた事を思い起こさせる。自分に与えられた主の恵みを思い、その恵みに相応しく歩み、誰もが同じ神の家族として生きられる教会を目指そう。