メッセージ(大谷孝志師)
福音に仕えた人々
向島キリスト教会 礼拝説教 2023年2月5日
エペソ3:1-13「福音に仕えた人々」

 1873(明治6年)年2月7日、アメリカ北部バプテスト伝道協会から派遣されたネイサン・ブラウン、ジョナサン・ゴーブル両夫妻が、横浜に到着しました。バプテスト同盟は、この日を記念して2月の第一聖日を「バプテスト・デー」とし、私達も今日の聖日礼拝を「バプテスト・デー」として守っています。

 1868年に誕生した明治政府は、江戸幕府の切支丹厳禁政策を継承しました。江戸幕府は、欧米列強による侵略に伴って行われたキリスト教の布教による人心の乱れを警戒し、世界史に例を見ない程厳しくキリスト教を禁止し、隠れ切支丹の発見や棄教を徹底して行いました。しかし、欧米との貿易を継続する中で相互の理解が深められ、幕末には二つの港が開かれます。すると居留地にいる外国人の信教の自由を認めざるを得なくなり、宣教師の来日を許し、横浜天主堂や大浦天主堂が建設されていきました。とは言え、日本人への宣教は認められませんでした。そして隠れ切支丹が発見されると彼らに厳しい迫害を加えたのです。しかし、それが諸外国の反発を招き、その圧力によりキリスト教禁令の高札が廃止されます。それが、ブラウン、ゴーブル師夫妻が来日した直後の2月24日でした。両師は次の聖日、3月2日に現在の横浜バプテスト教会の前身である横浜第一バプテスト教会を設立しました。しかし、キリスト教禁令が解かれても、約25年間、明治政府はキリスト教を公認しませんでした。それでも多くの宣教師が来日し、宣教していました。その背後には、欧米の教会によるアジアの人々の救いの為の熱心な祈りと献金、伝道の為の組織作り等の活動がありました。その中の日本も異教徒の世界であり、日本人にも真の神様を知らせたいと思ったからです。その働き掛けにより、福沢諭吉が「キリスト教国教論」を唱え、未公認であっても上流階級が中心でしたが、多くの人々が教会に来ました。しかし、地方ではキリスト教への反感が依然として根強く残っていました。その困難な状況の中で、異教徒の救いの為に来日した多くの宣教師が働きを続けたからこそ今日があると思い、その事を感謝しつつ、このバプテストデーの礼拝を守りましょう。

 パウロは今日の箇所の3:1で「あなたがた異邦人の為にキリスト・イエスの囚人となっている私パウロは」と言いっています。彼がこの手紙を獄中で書いたのは、ローマで軟禁状態の中であったとする説が有力とされています。しかしローマ帝国の囚人ではなく、キリスト・イエスの囚人と彼は言います。日本に来た宣教師達も、主イエスに、日本に行って異教の神々を信じる日本人に福音を伝えよと命じられ、それに応え、全てを投げ打って来た主の囚人だったと言えます。囚人には自由はありません。命じられた場所で、命じられた事をしなければなりません。同じように、宣教師も自分の意のままにではなく、主の御心に従順に福音を伝えたのです。ですから主の囚人なのです。

 言葉も文化も全く違う日本に来ての伝道は、大変な苦労があったと思います。Uコリント11章を見ると、パウロの伝道も多くの、そして激しい困難を伴いました。今も彼は獄中にいます。その中で「あなたがたのために苦難にあっていることで、落胆することのないようお願いします」と言います。彼が苦労しているのは事実です。でも彼は苦労だと思っていません。逆に喜びなのです。彼にとって、伝道は苦労し甲斐のある働きになっているからです。

 パウロは、自分が伝道することで苦難を受けています。しかしどんな労苦でも、それにより異教徒だった異邦人が救われて教会の一員となり、神に喜ばれる生活をしているのです。それは彼にとって何ものにも換えらない喜びだったのです。来日した宣教師達の伝道も大きな困難を伴っていました。しかし宣教師は、日本に住む人々がこのまま滅びの道を歩むままにしておけなかったのです。誰でも「福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になる」人々になることを宣教師も知っていたからです。そのように約束されていることを知り、自分達と同じように、主の恵みにより救われて欲しいと真剣に願い、伝道したのです。そして、主が日本にいる人々に対して忍耐しておられ、「だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。(2ペトロ3:9)」との御心も知っていました。ですから、主が世を滅ぼす日が来る前に、一人でも多くの人に福音を伝えようと、困難に立ち向かったのです。そして、主は多くの実を日本で結ばせました。

 パウロは異邦人に、あなた方も主イエスを信じれば、神の民、キリストの体の一部となれる、と福音を伝えました。ユダヤ人と異邦人は価値観も世界観も全く違いました。でも彼は、その両者が一つになれるという驚くべき福音を伝えました。それができたのは、主が「私に恵みを賜り、この福音に仕える者として下さった」からできたと彼は言います。パウロも日本に来た宣教師も、福音が、仕える者、奉仕者を必要とすると知っていました。言い換えれば、福音は、福音を実践する人、福音に相応しい生活を送る人が必要だからです。更に言い換えるなら、人が主イエスのように生きるその姿によって、福音が相手に伝わり、主イエスを信じて生きる決心へと相手が導かれるのです。ですから宣教師達もパウロも、主の囚人となって、主のみ心に従順に従い、自分達の全てを主に献げて、福音を知らず、滅びに向かって生きている人の為に福音を伝え続け、主がその労に報いて豊かな恵みを与えました。

 日本は最初のプロテスタント教会が横浜に出来て以来、150年以上が経っています。それなのに、キリスト者人口は1%前後の異教社会のままなのです。正月には、多くの人々が神社仏閣に初詣をし、マスコミはその人々を礼賛し、神社仏閣の御利益を確かなもののように語り、宣伝しています。全ての人の罪の贖いの為に十字架の死を遂げた主イエス、復活し、今も主の証人を至る所に使わし、「だれも滅びることなく、すべての人が悔い改めに進みことを望んで」憐れみの眼差しで見つめ、手を差し伸べている主イエスを、もう一度目を上げて見詰め直しましょう。そして、バプテスト・デーのこの日、日本という異教社会に来て、人々に福音を伝えた宣教師の方々働きを心に刻みましょう。パウロは12節で「私たちはこのキリストにあって、キリストに対する信仰により、確信をもって大胆に神に近づくことができます」と言います。

 そうです。私達も大胆に、遠慮しないで、主の囚人となって大胆に神に近付きましょう。主は私達に知恵と力を、そして福音を伝える機会と相手を示してくれます。そして私達にも福音を伝えられます。壁は高く大きいので、できないと思わないで下さい。主は言います。「それは人にはできないことです。しかし、神は違います。神にはどんなことでもできるのです」と。パウロや宣教師達がこの壁を乗り越えて伝道したように、私達も乗り越えられます。