メッセージ(大谷孝志師)
本物の信仰って
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2023年2月19日
マルコ4:35-41「本物の信仰って」 牧師 大谷 孝志

 弟子達が乗っている舟に自分の信仰生活を思う。主イエスが弟子達と一緒に舟に乗っている今日の話は、私達がどこにいても、そこに主が共にいると教え、そこも広い意味で教会であり、私達は教会という看板を背負って生活していると教える。私達がこの世で接する人々は、私達を通して教会、キリストの福音は何かを感じ取っている。私達は教会、キリストの福音の宣伝ビラ、ポスターと言える。

 今日の箇所は、その私達の信仰が本物かどうかを鋭く語り掛けている、弟子達が乗った舟は嵐に襲われ、大変危険な状態。でも彼らは主がした多くの奇跡を見てきた。その主が共にいるから危険は無い筈。だが彼らは恐れ、気が動転した。主と一緒に湖上で嵐に遭うのは初めてだったのかもしれない。私達も初めての事に遭い、気が動転する時がある。しかし彼らの中にはペテロらこの湖で漁師をしていた者がいた。ガリラヤ湖は三方を山に囲まれ、夕方に突風が吹くことがあると知っていた筈。しかし彼らは、主が共にいれば突風が吹かない、吹いたとしてもすぐ止むだろう、波が舟に打ち込んできても主が一緒にいるなら少しぐらいで収まるだろうと、良い方、良い方に考えたのでは。私達も同様の事をする場合が。

 だが現実には嵐は止まず、水が舟に満ちそうになった。彼らはこんな筈ではと思ったに違いない。私達も主を信じているのだから大丈夫と思っていても、想定外の危険に直面した時に、あれこれを試みるが、これもあれも駄目だったとなると、こんな事では、何の為に主を信じたのか分からないと愚痴った事は無いか。

 それなのに、主イエスは舟の船尾で眠っている。だから「先生、私たちが死んでも構わないのです」と弟子達はイエスを起こした。主イエスが一緒にいるから大丈夫との思いは吹っ飛び、主が眠っているからこんな目に遭っているのだと思ったから。彼らは主に招かれて全てを捨てて従ったからそこにいた。しかし余りに危険な出来事に恐怖を感じ、過去の主の言動を振り返り、主が一緒にいるからどんな状況でも大丈夫と信じ切れなくなった。私達も幾ら求めても事態が変わらないので、主の無力さを感じてしまった時はないか。ここに、時として主イエスのことが分からなくなってしまう、そんな私達の主への思いが映し出されている。

 主イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言う。すると風は止み、すっかり凪ぎになった。直前まで死を恐れていた弟子達に、主は「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか」。後半の直訳は「お前達は信仰を持っていないのか」と彼らを叱った。一緒にいる主が、自然を支配する偉大で驚くべき力がある方と知ったが、彼らは安心しないで、非常に恐れた。彼らは自分達と一緒にいる主イエスが、聖なる方と知ったから。彼らはこれ迄、主と生活を共にする中で、主が全てを知り、全てを支配する方と分かってはいた。しかし神が世に遣わした人でも、普通の人と思っていたから、素晴らしいとは思っも恐ろしくなかった。しかし今、彼らは聖なる神が自分達の目の前にいると知った。

 彼らは助けを求め、主を叩き起こすことで、現実の中で力強く働く神と出会い、主イエスの本当の力、神の臨在の素晴らしさを知り、恐れた。「主を恐れることは知識の初め」と箴言1:7にある。私達が頭の中で主がこんな方と考えている限り、本物の信仰者になれない。現実に、主の助け無しに生きられない自分を認めて、主に助けを求めよう。主は御心のままに全てを実現する力を持つ方。主の真の姿を知る時、私達は他の何ものをも恐れることの無い本物の信仰の持ち主になれる。