メッセージ(大谷孝志師)
全ての道で主を知る
向島キリスト教会 礼拝説教 2023年3月5日
箴言3:5-10「全ての道で主を知る」

 私達は今年度「あなたの行く道全てにおいて、主を知れ、主があなた進む道を真っ直ぐにされる。」を主題聖句に掲げると共に、「@家族や近所の方に福音を伝える機会を持つ。A互いに相手の内に主がいると意識する。B主が私達の為に計画を既に立てていると信じ、安心して心を合わせて共に歩む」をテーマにして歩んできました。今日の礼拝後、「教会のビジョンを語る会」が行われ、一年の歩みを振り返りつつ、来年度のこの教会の歩みについて語り合う時を持ちます。その為に先ず、今年度の主題聖句について私達がどう捉えて教会生活を送ってきたかを考えてみたいと思います。主題聖句は箴言3:6の御言葉です。この著者はここで私達に「主に拠り頼め」「自分の知恵に頼るな」「行く道すべてにおいて、主を知れ」「自分を知恵ある者と考えるな」「主を恐れ、悪から遠ざかれ」「あなたの財産で主をあがめよ」と命じています。

 私達は主イエスを信じています。主イエスを信じるならば、救われ、永遠の命を得て神の子とされ、恵みと平安を戴き、幸いな者になれると信じるからです。では私達は、信じない時はどうだったのでしょうか。先の事については分からないけれど、自分で何とかしなければならないと考えていました。また、相手との間に大きな壁を感じ、相手の考えが分からない現実に悩んだり、苦闘したことも有ったのではないでしょうか。しかし主を信じると、聖書は聖霊に導かれて書いる(Uテモテ3:16)と分かり、聖書のみ言葉に触れる度に、聖書が自分に、安心安全に歩み、稔り有る将来に向かって歩める道を教えていると分かり、自分の生き方が大きく変わったのではないでしょうか。

 私達は今日の「教会のビジョンを語る会」で話し合った後、今月の定例役員会で牧師が提案するものが主題聖句に相応しいかを協議し、決定します。牧師が祈りつつ主に求めて示されたものとしても、それが聖霊の導きによるものかどうかを役員会はし判断しなければならないのです。私達は主題聖句は、教会とはそういうものという信仰に立つことが求められています。

 さて、今年度の主題聖句をそのようなものとして一人一人が受け止め、主が私達キリストのからだである教会が進むべき道として示したものと受け止めていたでしょうか。私達は自分の悟りに頼らず、心を尽くして主に拠り頼んでいたでしょうか。自分は無知、無力と謙遜しながらも、自分の知恵と力で何とかしようとしなかったでしょうか。静かに主の御前で自分を吟味しましょう。教会としての今年度を振り返ると、様々な恵みを主に戴いたことは確かです。しかし、私達の歩みが正しく十分だったからではなかったと気付きました。教会をここに必要として立てた主が、御業を行う群れとして見守り、支えたからと知りましょう。私達は自分を顧みつつ、私達を導いている主を見上げつつ、思いを新たに将来に向かって歩む思いを持つことが大切なのです。

聖書は、教会はキリストのからだであり、私達はその部分だと教えています。私達人間という部分部分によって構成されている教会も生物と言えます。全ての生物は、自分の生命を保存しようとし、更に発展しようとする「自己保存の本能」を持っています。この地に教会を立てられた主は、この教会が保持され続け、成長を続けられるようにと、知恵と力を与えられています。しかし私達は世に生きる限り、肉の体で生き、肉の思いに縛られています。

 ですから私達は、自分の悟りに頼り、自分を知恵の有る者と考えて、物事に対処しようとしてしまいます。でも、願い通りに行かず、失望し時に絶望し、自暴自棄に陥る時が多いのが現実ではないでしょうか。それに主に拠り頼んでも、直ぐに答えが返ってくるわけではありません。主がこの私達をどう思っているかも想像するしかありません。主の御心も確認出来ず、先の事も分からない、それが私達であり、そのような私達の群れがこの教会なのです。箴言の著者も主の民がそのような者達の群れであると知っています。だからこそ、主の民で在り続け、主のものとして、主の栄光を現す群れとして成長できる道があると教えます。そのようなもの自分達を認め、「心を尽くして主に拠り頼め」ば良いのです。信仰は私達から主へで良いのです「神の国はあなたがたのただ中にある」と。主が教えるように、私達は全てを支配する世界、神の国に生きているのです。勿論、神の国を自分の目で確認出来ません。でも現実に、教会がこの世に存在し続け、私達が主を礼拝し続けているのはなぜかを考えて見て下さい。確かに私達は自分の力で主の存在を確認できません。しかし主は、私達一人一人を、この教会の現状を確認しているのです。私達の心の内まで、私達の交わりの良い所、足りない所の全てを知り尽くしているのです。だから私達はこの会堂に集い、主を礼拝し、一人でも救われるようにと願い、その主の為に働いていられます。主は見えず、声も聞こえなくても、その主に向かって私達が願い求めるなら、主は恵みと平安を与え、霊的に私達としっかりと繋がっている事を、様々な出来事により知らせてくれます。恵みを味わわせてくれています。だから私達はこの世にキリスト者として生きていられ、教会は存在し続けていられます。「まことに主は大いなる方 讃美されるべき方 威光と尊厳と栄誉 光栄と力 ただ主だけを 礼拝せよ 天を造り 支えている主」という主の恵みの世界に生きているからです。

 ですから箴言の著者は、私達が心の向きを変えれば良いと教えます。それは祈りの方向だけではありません。自分の思い、自分が所有し、使える全ての自分の持ち物への見方も変えることです。この世で私達が持ち、使うものは全て主のものであり、私という人間が持つ自分の能力、性格、経験、そして知恵の全ては、主に用いる為に与えられたものであると知りましょう。
 主は皆さんも知っているように、私達人間とは異次元の方です。そして、善を喜び、悪を憎む方です。私達は、教会を含め、この世の全てを知り、全てを支配する主イエス・キリストの世界に生きていることを、心に刻み直しましょう。箴言の著者は最後に、「主を恐れ、悪から遠ざかれ。それは、あなたのからだに癒しとなり、あなたの骨に潤いとなる。あなたの財産で主をあがめよ。あなたのすべての収穫の初物で。そうすれば、あなたの蔵は豊かさで満たされ、あなたの石瓶は新しいぶどう酒で溢れる」と教えています。私達の今年度は「行く道すべてにおいて、主を知れ」との主題聖句を心に納め、そのみ言葉に従って歩み、豊かな実りが与えられてきたでしょうか。

 中国の「論語」に「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」という言葉があります。新しい年度を迎えようとしている今、古き事、過ぎた一年の歩みを自分自身で真摯に調べてみましょう。そうすると、私達の教会が、新しい一年の為に与えられた主題聖句をどう捉え、どう生きたら主に喜ばれる教会になり、豊かに実を結ぶ教会に成長出来るかを悟れるようになるからです。