メッセージ(大谷孝志師)
私たちには先がある
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2023年3月12日
ピリピ1:3-6「私たちには先がある」 牧師 大谷 孝志

 主イエスを信じて良かった。笑顔で明るく過ごせるようになったからと言う人がいた。苦労が無くなったわけでは無いが、主に守られていると思うと何が起きたとしても安心だと思えるようになったからと言った。高い崖から滑り落ちて、途中の木の枝に必死に掴まりながら、或いは落下しながら「主よ、感謝します」と笑顔で明るく感謝し、讃美するなんて考えられないと思う。なぜこんな事を言うのかと言うと、主を信じていると、どんな時、どんな所でも、自分は安全だ、安心して良いと考えられるのです。

 昔、トルコのエーゲ海に面した港湾都市のスメルナ教会にプリュカルプスという監督、教会の責任者がいた。キリスト者への迫害が厳しく、ローマ皇帝を神と崇めるカイザルの祭りの時には、多くのキリスト者が獣と闘わされた。皇帝を始め多くの偶像を神と崇める人々は、キリスト者が異教の神々の崇拝を拒み、祭事の場所を持たなかったので、彼らを無神論者と呼び、その町の教会の監督ポリュカルプスを捕らえ、棄教させ、皇帝を崇拝させようとした。ある日、彼は祈っている間に恍惚状態になり、その中で自分の枕に火が付けられるのを見た。彼は自分が生きたまま火刑に遭わねばならないと仲間達に言う。

 彼は、捕らえに来た人々から逃げようと思えば逃げられたが、御旨がなるようにと言い、従順に従う。彼はローマ総督が待つ競技場に引かれて行き、棄教と皇帝崇拝をしないと獣に投げ与える、更に火刑にするぞと脅されるが、一時の火で殺されるより、不信心な者の為に備えられている永遠の火の刑罰を知るのでと拒否し、思うままにせよと総督に言う。総督は「彼はキリスト者であることを宣言した」と役人に三度宣言させ、処刑する。彼は人々が火刑の柱に釘付けしようとすると、そのままにしておいてと言う。火を耐え忍ばさせて下さる方が、釘で抑えられなくても燃える薪の上で動かずにして下さるからと。彼の祈りの時が終わり、火刑執行人が火を付けると、大きな炎が燃え上る。すると驚くべき事に、火は風をはらんだ帆のように円屋根の形を取り、彼のからだを包んだ。人々は彼が焼き尽くさせないのを見て、執行人に短刀で刺すように命じ、執行人が刺すと鳩と夥しい血が出て来て火を消した。

 彼だけでなく、激しい迫害の中で多くの火刑された殉教者が、燃えさかる炎の中で高らかに讃美したと伝えられている。彼らは火に焼き尽くれ、空しく滅ぶ姿でなく、永遠の御国に生きる栄光に輝く自分達の姿を見ていた。人は先がないと思うと不安になる。でも先がある。「イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません」とヘブル13:8にある。その方が常に共にいて私達の先の保証をしている。自分の過去の歩み振り返るなら、私達もその事を確認できる。

 確かに主を信じていても先の事が分からず、「一寸先は闇」の経験を何度もする。しかし、競技場で走る時、走ってさえいれば、必ずゴールできる。曲がりくねったトンネルで、出口が見えなくても必ず出口があり、進みさせすれば抜け出せる。

 パウロは「あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さると、私は確信しています」と言う。自分には先が見えないと思っても、自分の人生は主が始めた良い業と信じよう。そうすると、今は、私にとっての良い時、良い場所と受け止められる。不安に脅えることもあるのは事実。でも、主は完成して下さる方とパウロは教える。私達が信じる主は力ある方。今は未熟な私達でも、私達には完成へと導く主がいる。何歳になっても先があり、将来があると信じ、今の自分、将来の自分を楽しみながら生きよう。