メッセージ(大谷孝志師)
今を喜んで生きよう
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2023年4月2日
Tペテロ1:3-9「今を喜んで生きよう」 牧師 大谷 孝志

 主イエスを信じていても、この世で様々な試練に遭い、悩まされるのは事実。しかし、信じているとどんな試練に遭っても、その時々、今を喜んで生きられる。では、教会に来る前はどうだったかというと、辛い事、嫌な事、苦しい事はあった。でも確かに、受け止め方が変わった。教会に来る前は、大袈裟でなく、これで人生終わりかと感じた時もあった。しかし、主イエスを信じてからは、大丈夫だ、何とかなると考えられるようになった。高二の四月にクラス替えがあり、自己紹介の時、自分は受浸し、クリスチャンになると言った。それを聞いた先輩に誘われ、都立高には珍しい聖書研究同好会に入った。会員は三年生だけだったが、皆優秀で熱心だった。日本基督教団の富士見町教会の昼の祈祷会に皆で参加したこともあった。やがて先輩方全員が卒業し、どうなることかと思ったのだが、不思議なことに、後輩の女子が同好会の存在を知り、入会した。二人で聖書研究活動をした。顧問はいても名ばかりで、部室も無くなり、教室や階段で学びをしたが、終盤等に白い目で見られた。それでも、生徒会から文化祭の予算と展示教室が与えられ、二人で教文館から様々な言語の聖書を借り、聖書の歴史の掲示をつくり展示した、すると校長が来て、自分も戦後クリスチャンになった。今は行っていないがと、懺悔に近い経験談をかなりの時間を割いて話して行き、不思議な感動を覚えた。翌年、一年の女子が入り、ミッションスクールの女子聖学院の聖書研究グループとの会合も持つなど、三人だけだったが、地道に活動を続けた。

 卒業後、文化祭の案内が来たので、前日に行ってみると、十数人の部員がいて、文化祭の準備をしていた。何故か爆発的に増えたと後輩が言った。私達の細々とした活動に、主が豊かな稔りを与えたのだと感謝した。二人三人で学び続けていても私達には不安も恐れもなかった。主が共にいると思っていたから。主が時に応じて機会を与え、素晴らしい喜びに満たしていてくれたから。続けられたことが何よりの証拠であり、その中で信仰の稔りとしての魂の救いを受けていたと、今になって改めて感じさせられている。主を信じていると、変わらない現状に不安を感じる時、挫折しそうな時も、生き生きとしていられる。それは私達の為に天に宝が蓄えられていて、必要な時にそれを主が与えると知るから。主の姿は見えないし、声も聞こえない。しかし、今共にいると信じ、たとえ、必要と思うものが無くても、必要になれば、必ず主は与えると信じられるから。そこに安心の思いが生じる。それを持てることは主を信じる者の特権とも言えると私は思う。

 特権はそれだけではない。将来に希望をもって生きられる。終わりの日、主の日に霊の体に変えられ、永遠に生きる自分を実感できると信じ、今はその時に向かっていると信じられる。そして主は、そう信じる私達の思いを決して無駄にしない。主は御力により、信じる私達を、常に共にいて、守り導くと信じられる。

 私達が、辛い事、厭な事、苦しい事といったどんな試練の中におかれても、喜んで生きているとすれば、それが、私達が信じている主イエス・キリストが今も生きて働いていることの証しになる。そして、私のその姿、生き方を人々に示すことによって、主が誰をも愛し、救う方であることの証しになる。自分は弱く、何もできないと思い、閉じ籠もる必要は無い。主を信じるなら、誰も喜んで生きられる。主にはその力が有り、私達の為に道を示している。「今を喜んで生きる」これを私達の生き方とし、主が今も生きているしるしとして掲げつつ生きよう。