メッセージ(大谷孝志師)
本当に大切なものは
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2023年5月7日
ルカ12:13-21「本当に大切なものは」 牧師 大谷 孝志

 主イエスの話を聞いていた群衆の中の一人が、突然に遺産相続トラブルの解決を主に願い出た。ユダヤでは、自分の相続分に納得できない場合は,尊敬する律法学者に相談し、解決して貰った。主は律法学者としても尊敬されていた。 しかし主は拒否した。解決する力が無かいらでは無い。彼は財産があれば幸せと考えているが、望む通りの財産を得ても決して彼は幸せになれないと見抜いたから。そしてこれが、彼だけでなく周囲の人々にも共通することなので、人々にも本当の生き方を教える為、主は一つの譬え話を語った。これは実は非常に恐ろしい話。しかし、人が生きているということはどういう事かを教える、大切な主イエスの譬え話。ある金持ちの畑が豊作であったというこの譬え話の設定は、彼が不正な手段で財産と手に入れたのではなく、財産それ自体が罪ではないことを示している。しかし彼は罪を犯した。彼は豊作を神に感謝していない。彼の思いはただ穀物や財産に向けられ、自分の命の安全が、自分が蓄えた作物によって、保てると考え、それら全てを与えた神に心が向いていない。それが彼が犯している罪。

 人間は、水と睡眠さえ取っていれば、たとえ食べ物のがなかったとしても2〜3週間は生きられるが、無くなれば死ぬ。しかし人が死ぬのは飢えだけではない。病気、交通事故、災害、戦争というように、思い掛けない時、死が人を襲う。殆どの人には自分がいつ死ぬか判らない。聖書は人が生きているのは、神がその人を生かし、生きることを許しているからだと教える。しかし人間、生きることに汲々としてしまうことがある。そんな時、「花より団子」の心境になる。花は信仰、団子は生活の糧。安定した生活の為には、安定した収入を得る為の仕事が必要。また、安定した仕事を得るには良い学歴が必要。更には安定した家族生活も必要。それらの為に礼拝を犠牲にする時も。決して贅沢や自己満足の為に礼拝を犠牲にするのではない。でもこう考える。生きている限り、仕方のないことだと。

 しかし主はこの譬え話で私達に、あなたが大切にしている生活とは何か、あなたは自分の命、自分の生活を自分のものと思い込んでいないかと問い掛けている。人は誰も思い通りの人生を歩めず、苦労や挫折、死が突然襲う。それが起きるのは、人の命、人生が、人自身のものではなく神のもので、神がそう定めたから。

 私達は自分の人生を大事にする。しかし、大事にして幸せになれるなら、皆が幸せになっている筈。だから幸せになりたければ、仕方を間違えてはいけない。だから主は「自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこうなる」とこの譬え話で警告した。自分が所有するものを豊かにすることで安心する者にではなく、神を大事にし、神に対して豊かになることで安心する者になれと教える為に。

 人間関係も自分の努力も大切。社会での自分の評価や実績も大切。それらの豊かさが自分を養うと思うから大切にする。しかし、本当に大切なのは、必要な時に必要なものを与えて養う神。だから主はこの後で「何はともあれ、神の国を求めよ。…そうすれば、これらのものは、それに加えて与えられる」と教え、自分を養ってくれる神を見上げ、神に全てを委ねる生活をせよと教える。しかし、そ思ってはいても、どうしても自分を見て、自分の弱さに惨めさを感じてしまうのが私達。しかし、その時こそが恵みの時。その時、生きて何かをしている自分が、神に生かされているからこうして生きている自分だと気付けるから。その神に対して富み、神に喜ばれる者、祝された者となることを大切にする私達になろう。