メッセージ(大谷孝志師)
価値観が変わります
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2023年5月14日
ピリピ3:2-11「価値観が変わります」 牧師 大谷 孝志

 自分にとって一番大切なものは何か、考えてみよう。命だろうか。しかし、ただ生きているだけでは仕方がない。だから誰でも、命以外に、自分にとって一番大切なものを持つ。お金、家族、仕事、友達等々。大事なものは人によって違うし、人生のそれぞれの時期によって違ってくる。私自身子供の頃はメンコやガラス玉がとても大事だった。小学生後半から中学生までは良い成績を取ることが大事になり、遠くまで塾通いをし、遊びや友達より勉強の方が大事だった。高校に入ると成績は良いに超したことはないが、人生の全てではないと考えるようになった。少し人生に冷めかかっていた時に、クリスチャンという不思議な集団に出会った。それ迄の人間関係は、自分にとって有用か否かで決まり、損得で付いたり離れたりしていた。しかし教会の人達はそういう常識とは懸け離れた価値観を持っていた。勿論、中に入ってみたら、泥々としたものは有ったが、外から見ていた時は、自分自身より大谷孝志という人間を、また、誰それという相手を、ごく自然に大事にする集団に見えた。それ迄の自分の価値観とは違う価値観があるのを感じさせられた。この外からそう見えたということはとても大事だと思う。

 クリスチャンでも人間である以上、自分にとって大事なものは大事との価値観を持つ筈。でもそれを覆い隠せる。言葉が悪いかもしれないがそれが事実と思う。クリスチャンが二重人格というのではない。人間が本来持つ価値観を、信じている主イエスから与えられる価値観で覆うことが出来る。そして相手を大事にいている思いを相手に素直に伝えられる。これは素晴らしいことだが。、本当にごく自然にそう思っていなければ、相手にその気持ちは伝わってはいかない。それに、自分より相手を大事にするという価値観の転換がなければそれも出来ない。クリスチャンには何故それが出来るのか。この手紙を書いたパウロは私達クリスチャンの手本となる人。彼は何故手本となる生き方が出来るようになったのか。それは、復活の主に出会い、天地がひっくり返るような価値の転換を経験したから。

 彼はそれ迄自分が色々と大事にし、誇りとして来た一切のものを損と思い、塵芥のように思っていると言い切る。主を知ることは彼にとってそれ程素晴らしいことだった。主の前では全てのものが霞んで見えたと思う。人は何かを大事にし、誇りに思っている場合、それで自分の弱さを覆うようにしている時が多いのでは。弱さを隠す為の強さ。劣等感を隠す為の誇りである場合も。彼の場合はそうではない。彼は主の前では自分が裸であるのを知っていた。彼には主に知られていることが絶対的重さを持っていた。自分の弱さを隠す為の強さや誇りは必要ない。だから彼はTコリ1:31で「誇る者は主を誇れ」 と言う。私達も主を誇れば良い。

 私は教会に来て価値観が変わった。サラリーマンになりたいと思ったのが、伝道者になりたいとの思いに変わった。主イエスが自分にとって一番の存在に変わり、福音を宣べ伝えること、教会の働きに参加することが、何故一番大事になったのかと言えば、教会の人々のその価値観、生き方に魅力を感じたから。自分の為に相手の人を愛するのではなく、相手の為に相手を愛する生き方が新鮮で素晴らしかった。クリスチャンの価値観はこの世のものとは違う。主イエスの愛が、全ての価値を決める基準になる。何故主の愛がそんなに重大な基準になるのか。主が私の為に十字架に命を捨てたから。私を何よりも大事にしていると気付いたから。その主の十字架の愛で全てを計る価値観で、相手を相手の為に愛する者になろう。