メッセージ(大谷孝志師)
聖霊に満たされて生きる者に
向島キリスト教会 礼拝説教 2023年5月28日
使徒2:36−42「聖霊に満たされて生きる者に」

 今日はペンテコステ、五旬節の日。聖霊降臨記念日、全世界の教会の誕生日です。誰にでも生まれた日がありますが、私達の教会が正に産声を上げたのは、77年前のクリスマスでした。この日、荒川深美先生宅でクリスマス礼拝が献げられたのです。その後、主の日毎に家庭集会が守られ、様々な集会が続けられて来ていると向島教会宣教40年小史に記されています。

 全世界の教会のルーツを辿るとただ一つの教会に辿り着きます。全ての教会は一つの教会、聖霊が降臨し、聖霊に満たされた使徒達の福音宣教の活動の結果によって生まれたエルサレム教会に辿り着きます。使徒を始めとする多くの主の証人となった人々が、勢力を広げつつあったローマ帝国の各地に福音を宣べ伝え、教会が誕生していきました。その一つであるシリアのアンティオキア教会の人々が礼拝し、断食している時、聖霊が「私の為にバルナバとサウロを聖別して、私が召した働きに就かせなさい」と言いました。人々は断食して祈り、二人の上に手を置いて、派遣の為の祝福をして送り出しました。最初は二人で、第二回、三回はパウロやシラス達が現在のトルコ共和国があるアナトリア半島、ギリシア共和国に福音を宣べ伝え、最後に、パウロらはエルサレムで捕らえれ、囚人としてローマに護送されます。しかし軟禁状態だった彼は、かなり自由に福音を宣べ伝え、ローマに家の教会が幾つも出来、やがて度重なる大迫害にも耐え、ローマ皇帝もキリスト教を認める程に成長し、やがて国教となり、大航海時代を経て、今では世界中に教会があります。

 その最初の教会がエルサレムで生まれたのは、紀元30年5月28日、今から1993年前の今日なのです。その前に、主イエス・キリストは復活した後「数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示されました。40日にわたって、彼らに現れ、、神の国のことを語られた」と使徒1:3に書かれています。その期間が終わると「使徒たちが見ている間に上げられ、雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった(1:9)」のです。その後、使徒達は、ガリラヤから主に付いてきた女性達、イエスの母マリア、及び主の兄弟達と共に「いつも心を一つにして祈って(1:14)いました。そして、主が昇天して十日後の五旬節の日に、皆が同じ場所、1:13の彼らが泊まっていたエルサレムの家の屋上の部屋に集まっていた時に、聖霊降臨の出来事が起きたのです。この五旬節は、ユダヤ教では過越祭翌日から数えて50日目の日で、ユダヤ人は、この日にモーセを通して律法が与えられた事を記念し、ペンテコステ(ギリシア語の50)と呼び、特別な日として礼拝を守っていました。

 彼らがそこに集まり、心を一つにして祈り続けていたのは、その特別な日だったからではありません。復活の主に、エルサレムを離れないで、聖霊によるバプテスマを授けられるのを待ちなさいと言われていたからです。更に主に「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そしてエルサレム、ユダヤとサマリアの全土、更に地の果てまで、私の証人となります」と言われ、彼らはその約束の時を祈りつつ待っていました。その五旬節の日、突然、激しい風が吹いてきたような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡ったのです。また、炎のような舌が分かれて現れ、一人一人の上にとどまりました。すると使徒達は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国の色々な言葉で話し始めたのです。使徒達の所に集まって来た人々は、彼等がそれぞれ自分の国の言葉で話すのを聞いて呆気にとられました。

 彼らに聖霊が降ったことによって始まったペテロ達の福音宣教により、多くの人々が救われました。更に、聖霊に満たされ、主の証人となった彼らの福音宣教により諸教会が誕生し、この日が全教会の誕生日となったのです。

 聖霊が降ったこの日の使徒達の活動には凄まじいものがありました。ペテロは11人の使徒達と共に立ち上がって、物音に驚いて集まって来た人々に、力強く説教を始めました。ユダヤ人を恐れ、隠れるように閉じ籠もっていた彼らとは別人の感があります。聖霊に満たされ、大きく変えられたからです。ペテロは言いました「神が今や主ともキリストとともされたこのイエスを、あなたがたは十字架に付けた」のだと。それはユダヤ人の怒りを買い、石打ち刑で殺されかねない言葉です。ユダヤ人が、神を冒涜した罪人として殺したイエスは、彼らの神が主キリストとした方なのですよと教えたのです。自分達は神に喜ばれる事をしたと思っているかもしれないが、そうではなく、神に背く罪を犯してしまったのですと、彼らの罪を明確に糾弾したのです。

 それが使徒達にとっては真実であり、事実だとしても、これを聞いたユダヤ人達には真実でも事実でもなく、正に真逆の事です。だから、主の十字架の死後、使徒達は彼らを恐れ、家に閉じ籠もっていたのです。しかし彼らは聖霊に満たされ180°変わりました。自分達が見た事、聞いた事を、正しい事、自分が確信した事として恐れずに語ったのです。聖霊に満たされたからです。

 ここに私達キリスト者が果たすべき第一の務めが示されています。私達が主に与えられている務めは、自分達が信仰生活の中で経験した事実、与えられた主の恵み、主が自分達と共にいると確信したことを大胆に語ることなのです。イエスが救い主、キリスト、全ての人の主です、と私達が知らせなければ、世の人々は誰もイエスを主を信じられないし、救われないからです。世の人々は、私達がかつて福音の光が輝く世界があるの知らずにいたように、自分達がここに生きるしかないと思っている世界、真の光の無い先の分からない闇の中でも先があり、どうにかなると思う世界に留まったままなのです。ですから主は、マルコ16:15で「全世界に出て行き、すべて造られた者に福音を宣べ伝えなさい」と弟子達に、私達に命じています。ペテロ達は世界中から来た人々に、福音を宣べ伝えました。彼の説教を聞いた人々は、心を刺され、激しく揺すぶられました。聖霊に満たされた使徒達の話を聞いた人達にも聖霊が働いたのです。私達も御霊が内に住む神の宮ですから、御霊が福音を伝える私達を助け、相手の心に福音を届けてくれると信じましょう。

 人々は使徒達に「私達はどうしたらよいか」と尋ねました。すると彼は、罪を赦してもらう為に、悔い改めてバプテスマを受けなさいと教えます。そして「この曲がった時代から救われよ」と勧めたのです。彼のこの言葉を聞いた三千人程の人々が、彼の勧めを受け入れ、バプテスマを受け、仲間に加わりました。使徒達は決して強くなく弱く、親しみ易さを感じる程です。主に従う生活の中で、叱責、注意されたことも度々です。その彼らが大胆に福音を語り、多くの人が救われたのです。聖霊に満たされて変えられたからです。エペソ1:17-19のパウロの祈りを心に刻み込みましょう。私達も「神を知る為の知恵と啓示の御霊を与えられて」いる者として、「心の目がはっきりと見えるようになって、神の召しにより与えられる望みと私達が受け継ぐものがどれほど栄光の富んだものかを知り」、主の証人として人々に福音を伝える中で、「私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを知り」その信仰生活の中で、主の豊かな恵みを味わう者になりましょう。