メッセージ(大谷孝志師)
天国はどんな所
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2023年6月11日
マルコ4:26-33「天国はどんな所」 牧師 大谷 孝志

 聖書では、天国をマタイは「天の御国」、マルコとルカは神の国と言う。天国は美しい夢のような花園と思い浮かべるかもしれない。キリスト者も一般的には、神の祝福を受けた人は死後、天国・パラダイス(楽園)に行くと考えているようだ。

 実は、主イエスは天国をそのような所とは教えていない。主は天国をこの世の様々なものに例えて、天国はこのようなものと教えた。その譬え話から天国について学ぶ。天国の「国」は王国とも訳されるが、元々は支配領域を示す言葉。天国は「天」。ユダヤ人は神を「神」言わず「天」と婉曲的表現で呼んだ。天国は、天、つまり神が支配する領域を意味する。しかし、主イエスが教える天国、神の国はルカ17章で主が言うように、地上を離れた空のどこかにあるのではなく、この地上にある。教会は主イエスが主として支配する所、だから私達の教会も天国。

 天国は神が支配する所、畑と主は例える。神は良い種を畑に蒔いた。しかし悪魔が、教会という畑に毒麦を蒔いた。農夫(信徒)が気付き、毒麦を抜こうかというと、主人(神)は世の終わりの裁きの日までそのままにしておけと言う。教会は単なる楽園ではなく、麦も毒麦も混在する所。しかし、主が支配する所。故に、その中で信徒は信仰が試されるが、御霊が共にいて助けるので、主の日まで自らの信仰を吟味させらることで練達し、真の信徒へと成長すると主は教える。

 また、主は「からし種とパン種」の譬え話により、天国は初めは小さいが、成長してどんなものよりも大きくなる事を、また、目に見えないような小さな存在でも、その種には全体を大きく膨らませる力が秘められていると教える。キリスト教は世界の片田舎にあるユダヤの宗教に過ぎなかった。しかし成長して、世界中に教会がある。初めは小さい種のようなものだかったが、今は何十億という人達が宿る木に成長した。日本の教会もこの事実に希望を持ては前進できると教えられる。

 そして、天国は何ものにも換えられない喜びを人々に与えることを、「畑に隠された宝」と「高価な真珠を見つけた商人」の譬え話で主は教えた。教会という天国に入り、主イエス・キリストの支配を受け入れた人に与えられる恵みは、他の何ものにも換えられない豊かな恵みなのだからと。しかし、畑に隠された宝は偶然、高価な真珠は捜し求めて見つかった。どちらも見つけなければその存在が分からない。私達が教会に来て福音、主イエスという宝を見つけたのも同じ。偶然キリスト者と出会ったり、教会を知ったりして人生の宝物、大きな喜びがあるのを知った。持っているものを全てと交換しても手に入れたいと思う宝を私達も見つけた。

 主は神の福音を宣べ伝えて「時が満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言った。これは事実。主イエスのいる所、そこは主と共にいる神が支配する所、神の国。だから主イエスに出会い、主を通して神の力を味わった人々は、畑の中の宝を見つけた人、高価な真珠を見つけた人のように、躍り上がって喜び、全てを捨ててもそれを手に入れたいと思った。それ迄とは違う人生、主と共に生きる人生を選び、神を讃美しつつ、喜んで主に従っている。主イエスは今も私達と共にいる。私達が先ず自分が天国、神の国に今生きている喜びを味わおう。そして、私達が出会う世の人々がこの宝を見つけ易いように心掛けよう。主は天国についても「後悔先に立たず」と教えるから。世の終わりが来たら悪い人は選り分けられ、火の燃える炉に投げ込まれて滅ぼされる。だからその時が来る前に天国という宝を手に入れよう。素晴らしい喜びの人生を手に入れられるからと世の人々に知らせよう。