メッセージ(大谷孝志師)
主に全てを委ねる人生
向島キリスト教会 礼拝説教 2023年6月25日
ダニエル4:34-37「主に全てを委ねる人生」

 第4週聖日は、2月、召天者記念礼拝、3月、受難節、4月、主の復活後、5月、ペンテコステ礼拝と続き、久し振りに旧約のダニエル書を学びます。4章のネブカドネツァル王は、紀元前604年〜562年に新バビロニア王朝の王です。この章には。王が捕囚のイスラエルの民の一人、ダニエルが信じ、従う神が真の神であると知り、その神が行う事は全て真実で、世で高ぶって生きる者をへりくだらせる方であると信じ、告白した出来事が記されています。

 王は自分が見た夢の恐ろしさに脅えました。2章にも、王は見た夢の話があります。その時王は、心が騒ぎ、眠れなくなりました。王はその夢の意味を知りたくて、バビロンの知者を呼び集めました。その夢の意味を告げるよう彼らに命じたのですが、王は、彼らが告げる意味が真実かどうかを判断する為に、王が見た夢がどんな夢かを先ず自分に告げた上で、その意味を告げるよう命じました。王は、彼らの答えの信憑性を確認するには、その方法しか無いと思ったからです。しかし彼らは、王がその夢の内容を話してくれなければ答えようが無いと王に答えたました。その夢の真実の意味を知りたい王は、更に夢の内容と意味を告げよと求めたのです。彼らの答えが偽りと欺きでないと知るにはそれしか無かったからです。 この王と知者達との会話は、私達に福音宣教が直面する大きな壁を暗示しています。そして私達が、その高く大きな壁を乗り越えてでも福音を宣教しなければ、世の人々救われないと、乗り越える必要性と大切さを教えます。

 すると知者達は、度重なる王の問い掛けに耐えきれず「肉なる者と住まいを共にしない神々以外に、それを王の前に示すことができる者はいません」と答えたのです。私達も内に住む聖霊の助け無しには、自分達が宣べ伝える福音の正しさを明らかに出来ないと改めて教えられます。王はその答えを聞いて怒り、大いに猛り狂い、バビロンの王を全て滅ぼせと命じました。2章で王が見た夢は、神がこの後、彼に起きる出来事、真実を伝えた事でした。

 私達は福音を世の人々に伝えています。世の人々が主イエスを信じないないままでこの世での命を終えたり、世の終わりの時が来たら皆滅ぼされるというこれから起きる出来事を主に知らされたからです。しかし私達がそれが真実と家族や知人に告げても、人々はこの王のように、偽り、欺きとまではいかなくても、真実とは決して受け取って貰えないのが現実だと思います。

 王が命令を発したので、人々は優れた知者として王に仕えたダニエル達を殺そうとしました。ダニエレはこの事を知り、この夢の意味を自分に知らせるよう天の神に憐れみを乞います。全ての主権は神にあるからです。そして、神は人に信仰を求め、その信仰に答えて真実を示し、なすべき事を教えます。この神と人との関係は、新約の私達の時代にも同じものであることを心に留めて、自分の信仰生活を確かなものとして歩めと聖書は私達に教えています。

 さて、神がダニエルに夢の内容を知らせ、彼が王に王とその国に将来起きる事を告げました。先の事です。王はダニエル達の神が真実を彼に明らかにしたと信じ、彼らの神を褒め称えました。私達も聖霊に真実を知らされ、人々に福音を告げ知らせよと命じられています。知らされた真実を告げましょう。それが私達の使命です。この王にしたように、聖霊が私達と世の人々に働き、人々が私達が信じる主が全ての人の救い主と信じ、人々が滅ぼされずに、私達と共に主を褒め称える人々成ると信じて福音を伝えましょう。

 今日の個所は、王が心安らかに、宮殿で繁栄を極めていた時の事です。王はある夜夢を見て、その夢の恐ろしさに脅え、意味を知ろうと知者達を呼び集めました。2章とは違い、彼らに内容を話し、夢の意味を告げよと命じましたが、やはり彼には出来なかったのです。最後に来たダニエルに、王は夢の内容を告げ、お前には、聖なる神の霊があるので、夢の意味を告げられるのでその意味を述べよと命じます。彼は神の霊にその意味をすぐに知らされます。それは王の破滅と、王がそこから立ち直り、繁栄を取り戻す方法を神が王に知らせた夢でした。しかし、絶対君主である王の性格を知る彼は、王についての前半の決定の恐ろしさに、驚きすくみ動揺してしまいます。

 しかし王は、彼の心の内を察し、動揺せずに話せと命じます。彼はその夢の内容を王に告げました。この後、王の偉大さが増し加わり、その主権は地の果てにまで及ぶが、王は人間の中から追い出され、野の獣と共に住み、牛のように草を食べる惨めな姿で生活することになします。しかし王が、全てはいと高き方である天が支配していると認め、私の勧告を快く受け入れて、正しい行いによって自分の罪を取り除き、貧しい者を憐れんで自分の咎を除くならば、王の繁栄は長く続くと王に教えたのです。これは旧約世界での出来事です。しかし、新約時代の私達も「主イエスを信じなさい。それすればあなたもあなたの家族も救われます」と勧めを受け入れ、主と共に行き、主に喜ばれる行いをし、互いに主の愛をもって愛し合うことにより、神の恵みと平安を与えられています。旧約時代も新約時代も、人が御言葉を信じ、御言葉を行うことにより、神の祝福を受けることでは同じであり、聖書は、全ての事は神の決定通りに行われ、神が示す道を歩むことが大切と私達に教えます。

 一年後、神が予告した通りの事が起きます。王が自分の権力と威光を誇っていると、彼は王位を取り上げられ、悲惨な状況に突き落とされたからです。しかし、神が定めた七つの時という予告期間が終わった時、王は目を上げて天を見ます。彼は2章で、ダニエルにより夢を解き明かす力を与え、3章でシャデラク、メシャク、アベ・デネゴを、火の燃える炉の中で守ったことで信じた真の神を褒め称えたのです。彼は理性を取り戻し、彼に威光と輝きが戻り、王位に戻り、前以上の絶大な権威が彼に加えられたのです。ここで大事なことは、彼が自分の王としての偉大さを増し加え、主権を地の果てまでも及ばせたのが神であり、そして自分を人間の中から追い出し、惨めさのどん底に落とし、その後理性を取り戻させ、高ぶっていた自分をへりくだらせた神の御業がことごとく真実であり、その道が正義であると認めたことです。

 私達は新約の時代、御子イエス・キリストが万物の主であり、全てを支配している方と信じています。私達はその信仰により、主に赦しと恵みを戴き、主の愛を信じ、主が私達に必要と認めるものを、主が私達に必要な時に与えると信じています。ですから、全てを良いものとして信じて受け取れば良いと今日の個所を通して心に刻み直しましょう。しかし、主を信じるとは、主に従うことであり、主に全権を委ねることであることも心に刻みましょう。ヨブが2:10で言うように「私達は幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けるべき」なのが私達、と聖書は教えるからです。主は良いものを与えるとただ信じるのではなく、良いものも悪いものをも私達に必要な時に与える方と信じましょう。主は私達と教会を愛し、信仰的に成長させて、より神に相応しい者、相応しい群れにする為に、常に関わっているのです。ご自分に求める者に良いものを与える神(マタイ7:11)を信じ、全てを感謝して日々を過ごしましょう。