メッセージ(大谷孝志師)
福音書に書かれている事
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2023年7月30日
ヨハネ20:30-31「福音書に書かれている事」 牧師 大谷 孝志

 新約聖書の初めに、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書が置かれている。そこには、紀元28年から30年頃に主イエスが福音を宣べ伝えた様子が記されている。後半の多くの部分には、主の十字架と復活に至る受難週と呼ぶ数日間の出来事が記されている。福音書も聖書であり、Uテモテ3:14-17にあるように「すべて神の霊感によるもの」。人が自分の知恵で書いたものではない。神が人を用いて書かせた全ての人への良い知らせだから、この四つは特に福音書と呼ばれる。

 主イエスは、自分で書いたものを残していない。だから福音書は主の日記では無く、弟子達が主の言葉や行動を書き留め、それらを資料として書かれた書物。

 最初の福音書が書かれたのは主の十字架と復活の十年以上後、主の復活の50日後に、聖霊が弟子達に降り、彼らが福音宣教に立ち上がった。彼の心には生前の主の言動が明瞭に刻み込まれていて特別な資料は必要なかった。また、信徒となった人々が福音について分からない事があっても、使徒達がまだ生きていて、その証言で十分で、福音書が無くても福音宣教が続けられ、教会が成長していた。

 しかし、教会がローマ帝国内に広く成長するにつれて、キリスト者への迫害が激しくなった。それでイエスが主キリスト、救い主であることが分かりやすく書かれたものがあった方が良いという理由と年月が経つにつれて、主の出来事の目撃者が亡くなっていくという理由から、福音を書物にして残す必要が出てきた。

 初めに紀元55年頃マルコ、70,80年頃マタイとルカ、95年頃にヨハネの福音書が書かれた。マルコ、マタイ、ルカには共通した記事が多く、参照し合って読むとより深い理解が得られるので共観福音書、ヨハネを第四福音書と呼ぶ。福音書は主の生涯を記すが、大部分はヨハネによる受浸から十字架と復活に至る公生涯と呼ばれる約二年半余りの出来事を記す。更にその大半が受難週と呼ばれる数日間。

 福音書が書かれたのは、「イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によって永遠のいのちを得るため」とこの個所にあるように、一人でも多くの世の人々が救われ、永遠の命を得る為。

 私達が信じ礼拝する神は、世に生きる全ての人を愛し、人々が一度しか無い人生、自分にしか生きる事ができない人生を喜んで生きる為、充実した人生を送る為に、福音を記させた。実はこの人生こそ、永遠の命を得た人の人生。永遠の命はいつ迄も永続し、老人になっても死なない人生では無い。神と共に常に生きる人生。そして、人はいつかこの世での人生を終えるが、その死が人生の終わりではなく、主イエスが永遠に生きているように、私達も主と共に永遠に生きている。

 だから、福音書に真剣に向き合い、自分の人生が真に意味有る人生になるにはどうしたら良いのかを求めて読むなら、誰でも共にいる主が助け、導き、主イエスを救い主と信じ、永遠の命を得、神の子となって生きられる。聖書を読むと、その中で、今も生きている主と出会える。主イエス・キリストは、今か二千年前にいた過去の人ではない。福音書の中で出会うことができる方。何故なら「イエス・キリストはきのうも今日も、とこしえに変わること」なく生きている方。求めれば会える方。主は全ての人に生き生きと語り掛け、ご自分の所に招いている。福音書には生きている主と出会う為の多くの道が備えられている。教会の様々な交わりの中で、自分と共に生き、自分に語り掛けている主に出会う者になろう。福音書はその為に書かれ、多くの人の主イエスとの出会いの場所となっている。