メッセージ(大谷孝志師)
失望しない人生を
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2023年8月13日
ルカ5:1-11「失望しない人生を」 牧師 大谷 孝志

 私達は主イエスを信じ、救われている。喜んで主と共にこの世に生きている。その主イエスを自分の周囲の人々にも信じて欲しいと思っている。その人も主を信じるなら、失望しない力強い生き方が出来るから。今日の箇所にその源を学ぶ。

 群衆が神の言葉を聞こうとイエスに押し迫ってきた時、岸辺に立っていた主は、そこに舟が二艘あるのを見て、そのうちのペテロの舟に乗り、群衆を避ける為に、陸から少し漕ぎ出すよう彼に頼んだ。彼らは夜通し漁をし、一匹の魚も捕れず、疲れ切って舟を下り、網を洗っていた。また舟を出すのかと、嫌だと思ったかもしれない。しかし群衆が押し寄せるのを見て、 断り切れず舟を出し、主はその舟に腰を下ろし、そこから群衆を教え始めた。

 話しが終わると、主は彼に「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい」言う。漁師の常識からすれば、それは魚の捕れない場所と時間に漁をすること。彼は一晩中頑張って漁をしたが、何も取れず、自分の限界を感じさせられていた。しかしそれは、彼にとって、主の力に頼り、み言葉に従う者となる為の準備だった。

 その彼に主は、彼にすれば、何の役にも立たないと思う事をしなさいと言った。彼は驚いたに違いない。しかしそれが彼の為だった。主は私達にも、それが今一番必要と知る事を、私達がどうしてと思うことであっても、主はそれをせよと言う。

 また、ペテロはこの時、常識外れの事であっても、それをせざるを得ない状況に置かれていた。群衆が主イエスに押し迫り、網を繕っている場合では無かった。私達もみ言葉に従わざるを得ない状況に追い込まれることが。それもまた、恵み。

 ここで、主の「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい」と主のみ言葉について、もう一度考えてみよう。主は、野原に行って、網を張って鳥を捕りなさい。山に行って、土の中から芋を掘り出しなさい、と言ったのではない。彼らがいつもしている網を下ろして魚と取ることをしなさいと言った。しかし、彼はそれを一晩中して何も捕れなかった。もう朝になり、自分が今日漁をしても無理、何も捕れないと彼は諦めていた。しかし主は、漁師の彼に漁師という自分仕事をせよと言った。

 主は私達にできることを、できるからしなさいと言っていることに気付く事が大切。しかし、たとえそうであっても、ペテロにしても、そんな事をするのは漁師としての自尊心が傷付けられることであり、大きな抵抗があったに違いない。では、何故出来たのか。彼は「でも、お言葉ですから」と主に答ている。それは、彼も主イエスから神の言葉を聞き、心がそのみ言葉に養われていたから。私達は、聖書を読み、祈るという神との霊的交わりの時を大切にしているが、それが神の命令を素直に受け取る為の第一歩であると教えられる。彼は、主イエスの言葉通りにして、大きな恵みを体験した。私達が、教会の交わりの中、信仰生活の中で、主のみ言葉を聞き、心を満たされ、感動しても、主にこれをしなさいと命じられた事を、彼のように、お言葉ですのでと言い、その通りにしなかったなら、豊かな恵みを味わえない。人は誰でも自分の力に限界を感じ、自分に幻滅することがある。しかしその私達に新しい生き方を示す為に働き掛けている主に気付くなら、諦め、失望すること無く生きられる道を見出せる。説教や聖書の言葉、教会の交わりの中で驚きを感じたら、それは主の働き掛けによって感じた事。現実や自分の力はどうあろうとも、必要な時に必要な事を主は私にできるからさせようとしていると知り、主のみ言葉に従って行い、主の豊かな恵みを体験する者になろう。