メッセージ(大谷孝志師)
豊かな人生の条件は
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2023年8月27日
ヨハネ3:14-17「豊かな人生の条件は」 牧師 大谷 孝志

 私達は、自分が人生の勝利者と自覚しているか。Tヨハネ5:5に「世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の子と信じる者ではありませんか」とある。主イエスを信じるなら、その人はこの世で人生の勝利者として生きられる。私達自身、それぞれの場で豊かな人生を過ごせていると自覚しているか。それぞれの家庭や職場、地域社会の中で、自分なりにだが大きな闘いをし、勝利者とは言えない生活してきたのが実感ではないか。時には妬みやいじめなどに苦しめられたこともあったかもしれない。しかし今も生きているのは、信があり、教会の兄弟姉妹の交わり、声掛けと助けがあったから。私も信仰なくして、兄弟姉妹が差し伸べた手なくして、今の自分はない経験を何度もした。主イエスを信じていない人々の中にも良い人、親切な人も多い。しかしニュースを見聞きしていると、妬みやいじめにエネルギーを使うことで自分が生きていると感じたり、張り合いにすらしている人もいる。もし、それで他人を傷付けてしまったら、たとえそれで自分の心が安定したとしても寂しいし、本当の豊かさ、喜びは味わえないのではないか。

 また、経済的に豊かで、他人や物事が自分の言う通り、思う通りになっても、それだけでは決して豊かな人生になっているとは言えない。結局は、自分にしがみ付いている人生に過ぎず、或る時突然寂しさに包まれてしまうことも。そして心がギスギスし、思う通りにならないと、人のせいにし、相手を裁き、決め付けることで、自分の心を安定を取り戻そうとする。それでは豊かな人生とは程遠い。

 旧約聖書を読むと、イスラエルの人々もそれに近い生活をしていたことが良く分かる。神が彼らに与えた律法は、彼らに人としての正しい道、神に祝福された豊かな人生を歩ませる為に神が与えたもの。それは出エジプト記31:18によれば、主がシナイ山でモーセと語り終えた後、神が指で石版「さとしの板」二枚に書き記したもの。しかし、彼らはその教えを守れず、神に受け入れられる神の民としての生き方ができなかった。その彼らに対する裁きは凄まじいかった。神がせよという事をしなかったり、するなという事をして、一度に何万という人々が、神の裁きによって殺され、滅ぼされた。何故できなかったのか。彼らは神の戒めを自分勝手に解釈し、律法を神の民として共に生きる為よりも、自分の望みを叶え、自分が良ければ良いとし、神に喜ばれるかどうかを第一でなく、第二、第三にしたから。自分中心の生き方がもろに出て、律法により他人を裁き、決め付け、排除する為に用いてしまった。そこに喜びが、豊かさがあったとしても、それは刹那的、見せ掛けのものでしかなかった。これは神の御心ではなかった。人にとって、自分の人生を真に豊かなものにするには、自分が神の愛の受け皿になりさえすればよかった。ただそれだけでよかったのだが、彼らにはそれが出来なかった。

 だから神は、イエスを世に遣わし、罪を取り除き、新しい愛の人になる道を開いた。主イエスを信じるなら、主の愛を知る。主が自分を愛したように自分が他の人を愛せるようになる。神は、人が互いに愛し合い、共に主イエスと共に生き、豊かな人生を生きる道を全ての人の為に開いた。「豊かな人生の条件は聖書の中に、歴史の始まる以前から掲示されています。真の神を敬い。罪を悔い改め、真心尽くしてキリストに従うことです」という歌がある。主は今も生きて働いている。そして、愛し合うエネルギーを私達主を信じる者達に注ぎ出している。私達もその愛のエネルギーの受け皿になり、豊かな人生を生き、人生の勝利者となろう。