メッセージ(大谷孝志師)
神のものを神に返しながら
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2023年9月3日
マルコ12:13-19「神のものを神に返しながら」 牧師 大谷 孝志

 主イエスの教えに危機感を持ったユダヤ教の指導者達が、主の言葉尻を捉えようとパリサイ人とヘロデ党の者をイエスのもとに遣わした。パリサイ人は、律法の遵守によりユダヤの純粋性を保とうとし、征服者であるローマだけでなく、ローマ化を目指すヘロデ王に強く反発し、王に忠誠を尽くすヘロデ党の人々とは対立していた。ヘロデ党の人々は、ローマで教育を受け、皇帝の庇護の元、ガリラヤとペレア地方を支配していたヘロデ王に忠誠を誓う人々で、ローマの支配に肯定的だった。それに加え、ヘロデ党は立場上、ロ−マが納税を要求する人頭税(男性一人あたりに課せられた税金)を納めることを許容していた。パリサイ派は表立って反対しなかったのだが、その税に屈辱的思いを抱いていた。カエサル(ローマ皇帝)に税金を治めるべきかどうかが、ユダヤ人社会の大きな対立を生む要素になっていた。

 主イエスを抹殺したいと思っていたユダヤ教の指導者達は、この対立を利用として、イエスを訴える口実を見つけようと、この二つのグループを一緒に遣わした。 互いに自分達の立場を守ろうとし、自分達に有利な答えを引き出そうと必死になると思ったから。そしてイエスがどう答えたとしても、対立するグループの怒りを利用して、イエスを抹殺出来ると考えた。主イエスはローマ当局やユダヤの指導者達に抑圧されていた民衆の心と体を癒し、慰めと希望を与え、多くの民衆に慕われていた。主の自由で権威に満ちた教えは人々の心に深く染み込んでいた。だからそれを妬む指導者達がイエスの権威を失墜させ、社会的に葬ろうとしたのがこの派遣。

 しかし彼らはその思いを隠し、気持ちが悪いほどの褒め言葉で「先生。私たちは、あなたが真実な方で、誰にも遠慮しない方だと知っております。人の顔色を見ず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、カエサルに税金を納めることは、律法に適っているでしょうか。いないでしょうか。納めるべきでしょうか。納めるべきでないでしょうか」とイエスに話し掛けた。子供が甘え言葉で近付いて来たり、ライバルや部下の人達が自分を立てるような言葉で話し掛けてきたら要警戒なのと同じ。しかし、主にそんな小細工は通じなかった。

 主は、彼らが税金問題というどの時代でも社会の中で微妙な問題を孕む事柄を取り上げて、自分を罠に掛けようとしているのを見抜いていた。主がローマに納税せよと言えば、パリサイ人達がイエスは律法を軽視していると人々に宣伝出来る、納税しなくて良いと言えば、ヘロデ党の者達が、イエスをローマへの反逆罪で訴えられると考え、自分に質問してきた、と彼らの心の中を見抜いた主は「なぜわたしを試すのですか。デナリ銀貨を持って来て見せなさい」と彼らに言った。持って来ると「これは誰の肖像と銘か」と尋ねた。彼らが「カエサルのです」と言うと、主は「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」と言った。主は人頭税をローマに納めよと言ったのでも、納めれば律法違反と言ったのでもない。自分がローマ皇帝に納税義務が有ると思えば納め、カエサルを含め全ては神のものと思えば、カエサルに納めたとしても、神に納めたと信じれば良いと教えた。主は、私達の一切のものは神のもので、神に返す姿勢で行う信仰が大事と教える。献金、奉仕、礼拝出来たのも、他人の世話や手助け、語り掛けをしたのも、神が機会を与え、知恵と力を与えたからと知り、それら全ての言動を神のものと感謝して自分が受け取り、それら自分の言葉と行いを人に与えたと思わず、自分の喜び、感謝を神にお返ししているとの思いで行い、日々を歩むことが大事と教えられた。