メッセージ(大谷孝志師)
自分は今どこにいるか
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2023年9月10日
ピリピ1:3-7「自分は今どこにいるか」 牧師 大谷 孝志

私達は今、向島キリスト教会礼拝堂にいる。自宅でライブ配信を見ている方もいるかもしれないが、主を礼拝すること、御言を頂くこと、触れることが必要と思い夕礼拝を守る。目的をもってここに、そこにいる。しかし、同じ様な日常が続いていると、ふと自分はどこにいて、どこに向かっているのかが分からなくなることはないか。また、突然の出来事に直面した時、ここで自分は何をしたら良いのか、この先自分はどうなるのかと不安や恐れに囚われてしまうことはないか。

 しかし、聖書はこの世の生活は、主が始め、完成へと導く旅路であり、今自分はその途上にいると知らせている。その事を知るなら、人は主に恵みと平安を戴き、日々を安心して過ごし、希望も与えられるので、明日に向かって生きられる。

 パウロは5節で「あなたがたの間で良い働きを始められた方は」と言う。これは私達に自分の人生の見方について大切なことを教えている。一つは「良い働き」だということ。生きていれば、嬉しい事、楽しい事ばかりではない。苦しい事も辛い事もある。しかし主は、私達に幸いな日々を過ごさせる為に私達を世に生かしている。とは言え、人は他人の事が気になり、と言うより、他人の事は良く見え、良く思える。ああいう生活が、生き方をしてみたいと考えることもある。

 しかし主は私達に、今この生活をすることが、生き方をすることが必要だからさせている。勿論、この世では意に反した事をさせられることもある。妬み、嫉みでさせられてしまう時もあるが、「亀の甲より年の功」と言うように、年長者が経験から得ている知識、対処法は当を得ていると思い、人に頼りたくなることも。

 しかし人には先の事は分からない、その場その時の事が絶対的事実と考えるしかない。だから悩んだり、苦しんだり、時には自暴自棄になることも。しかし主は、全ての人を愛している。幸せを願っている。滅びではなく、救いの門への道を歩むことを願っている。例えば、電車に乗って遠くの目的地に向かおうとしていると考えてみよう。私達は一時間後にどこにいるだろう。線路の上、電車の中。私達は不安になったり、別の電車に乗ろうとして降りない限り、目的地に着くまでそこにいる。人は誰も、自分の人生を、自分にしか歩めない人生を歩んでいる。私は、大谷孝志という電車に乗って目的に向かって進んでいる。確かに外の景色は目まぐるしく変わる。天候、事象のせいで遅れたり、止まったりするかもしれない。しかし、この電車がどこにいようとその中で私達は安全に守られている。この電車と乗客の私は主のものであり、このレールを引いたのも主だから。鉄道のレールが終着駅まで途切れることなく続いているように、自分の人生のレールも、死とその先に主が用意している永遠の住まいの入り口、いのちに至る門まで、途切れることなく確実に繋がっている。とは言え、電車の中にいるだけの私達は、先の見えない不安に囚われてしまう。しかし私達の人生は主が始め、守り導いている私達にとっての主の良い働き。そして主は、私達の人生を「イエス・キリストの日が来るまでにそれを完成させて下さると、私は確信している」とパウロは教える。私達の人生は中途半端に終わらない。イエス・キリストの日が来るのはいつなのか私達には分からない。しかしその日、主は「目的地に着いたよ。私が用意した道を走り終えたよ」と語り掛け、天の御国に迎え入れてくれる。

 私達は、主が敷いたレールの上の自分の人生という電車の中にいる。主が共にいて、この人生を守り導き、良い場所としていると信じ、安心して日々を過ごそう。