メッセージ(大谷孝志師)
主の深い愛に応える人に
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2023年10月8日
ルカ7:36-50「主の深い愛に応える人に」 牧師 大谷 孝志

 パリサイ人のシモンがイエスを食事に招いた時の出来事。パリサイ人達は、イエスの言動に自分達が守って生きた信仰生活と違うものを感じてた。しかし、不信感程度で、対立まではしていない。彼は有名な先生を自分が招くことで、自分も有名人になりたかったのかもしれない。決して豊かには見えない主イエス一行を招くことで、自分が善行をしていると胸を張りたい思いだったのかもしれない。

 しかし彼は直ぐに、主イエスに裏切られた気持ちになってしまった。町の人々が罪深い女と見ていて、関わらないようにしていた女性が香油の入った石膏の壺を持ってきて、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらイエスの足を涙で濡らし始め、髪の毛で拭い、その足に口づけして、持ってきた香油を塗ったから。

 これを見た39節の彼の心の中の思いには、がっかりというかとんでもない事をしてしまったとの後悔が感じられる。彼は「この人がもし預言者だったら、自分に触っている女がだれで、どんな女であるか知っているはずだ。この女は罪深いのだから。」と思ったとあるから。イエスは素晴らしい先生との評判を聞いていたが、とんでも無い先生を招いてしまった。そんなイエスを招いた自分が町の人達から汚れた者と見られないかと恐れたかもしれない。良い所を見せたいと思ったのに、とんでも無い事をしてしまったとの思いが、彼のこの言葉に滲み出ている。

 主イエスは彼の心の中を読み取った。主はその力を持つ方と聖書は度々記す。主はその彼に一つの譬えで、この女性のした事が持つ意味を教えた。その女性にも食事に招いた人にも、その行為の意味と結果を知ることが必要だったから。

 主が「シモン、あなたに言いたいことがあります」と言うと、彼は「先生、お話し下さい」と言う。人は聖書を読み、記された出来事に疑念を持つことがある。そこで大切なのは、主よお語り下さいと、先ず主に心向けることと教えられる。主は「ある金貸しから二人が金を借りた。一人は五百デナリ、もう一人は五十デナリ。彼らは返せなかったので、金貸しは二人の借金を帳消しにしてやった。二人の内、どちらが多くその金貸しを愛するようになるか」と彼に譬え話をした。

 彼女は、この町の人から罪深い女とみられていた。それだけでなく、当時は、女性が男性の会食の席に入るのはとんでも無いこと。しかし彼女は、そうしてまでも、主イエスに自分に出来る精一杯の行為をし、敬愛の思いを表したかった。何故か、彼女は主イエスの全ての人への深い愛を知った。このような罪人の自分でも主に愛されていると知り、その主の愛に応えたく、そうせずにはいられなかった。主イエスを食事に招いたパリサイ人も、自分なりに精一杯の事をしたと思った。しかし主を食事に招くだけしか思い付かなかった。主は彼に対し、女性がした一つ一つの事柄を挙げ、あなたはこれをしなかったが、彼女はしたと繰り返した。それにより、彼女の主イエスへの愛がいかに大きなもであるかを彼に示し、そして私達にも示している。彼女は確かに多くの罪を犯した。しかし、主への愛を心を尽くして多くの方法で現したことにより、今やその多くの罪が赦されている、と彼に言い、そして彼女に「あなたの罪は赦されています」と言い、更に、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」と言った。私達は、罪人の自分がどれだけ深く主に愛されているかを感じ取ってるか。その罪人の自分が主の愛によって赦されて今生きていることを自分の生活の中で現しているか。私達も、自分に注がれている主の深く大きな愛に生活の中で応える人になろう。