メッセージ(大谷孝志師)
平和を与えている主
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2023年10月15日
ヨハネ16:31:33「平和を与えている主」 牧師 大谷 孝志

 主は私達の罪の為に十字架に掛って死に、三日目に復活した。私達はその主が今も生きて共にいると信じている。だから今、主を礼拝している。何故か。その主、見えないが共にいる主と会う為。そして、主の御言葉を戴き、御旨を知り、日々を主と共に生き生きと生きる為。復活した主はその日の夕方、弟子達に現れ、「平安があなたがたにあるように」と言った。ユダ.ヤでは会った人に日常的にする挨拶。だが、主は単なる挨拶としてこう言ったのではない。「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。(24:27)」と言った主イエスは、ご自身という貴い犠牲を払うことで、その約束を果たし、弟子達が平安に満たされるようにしたから。主は、逮捕、裁判、処刑というご自分との別れを目前にした弟子達に「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難がありあります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました」と教えた。人の死を経験すれば辛く寂しくなる。しかし、主と共にいられなくなることで、彼らはそれ以上の寂しさ、辛さを味わうことに。その思いを知るので、主はこの言葉を与えた。

 聖書を読み、祈っていて聖書の言葉を思い出す時、私達の心に変化が起きる。それは共にいる主が語り掛ける主の言葉だから。だからみ言葉には力が有る。私達も世に生きていて苦難に遭い、辛く寂しい思いをすることがある。主が目の前にいて、自分に語り掛けているのではないから。主の姿が見えず、声も聞こえないから。主は弟子達もそうなるから「あなたがたは、泣き、悲しむが、世は喜びます。あなたがたは悲しみます。しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。」と言った。とは言え、永遠の命を与えられ、終わりの日にまた会えると信じていても、主の姿が見えないことが私達を不安にさせる。それが人間。しかし主は、希望を持てないそんな私達の弱さを、正面から受け取って下さっている。主は言う「わたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主を与えてくださり、その助け主がいつまでも、あなたががたと共にいるようにしてくださいます。この方は真理の御霊です」と。主は主を信じてこの世に生きる私達が平和に過ごせるよう、父なる神が私達に助け主を与えている。私達がキリスト者としてこの世に生きていられるのはその為と知ろう。私達は独りぼっちではない。御霊が共にいる。

 確かに人として世に生きていると、あれが無いこれも無いと、無いことに囚われる。主を信じているのに心が寂しく、辛くなる。しかし、私達は主に約束を与えられている。主は、わたしが父のもとに行くので、わたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげますと言う。だから安心していよう。

 だからゆっくりと心を落ち着けて、自分の、そして自分の周囲を見詰め直してみよう。主が約束を実現していて私達が気付かないだけ。感謝する生活へと変えている筈。一人で生きていると思うから不安になる。主は見えなくても、教会の内外で多くの人々と共に生きている。自分では良い事悪い事と感じているが、どちらにしても、その人々との関わりの中で様々に助け、助けられているのは事実。主は約束を守り、平和を与えている。だから様々な経験をしながら世に生き続けている。主が私に平和を与えていると信じるなら、自分の人生を肯定し、受け入れられる。それこそが人生至上の喜び。主を信じて生きるならこの喜びが与えられている。感謝!