メッセージ(大谷孝志師)
主に期待できるから幸い
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2023年10月22日
イザヤ55:8-11「主に期待できるから幸い」 牧師 大谷 孝志

 私の妻は、結婚前は特別養護老人ホームの看護師でった。私も無任所の時、そこがキリスト教の施設だったので、毎月十回程、職員や入所者の為の説教に行き、妻と知りあった。そこは介護保険の適用施設。この保険の主旨は介護認定された方が、自立した生活出来るよう支援すること。病人を医者に診せない家族はいないし、入院が必要と言われて、家庭で面倒を見ると拒否する家族もいない。しかし高齢になると、病院に入る程ではないが、自立出来ない、家庭で対応しきれないとなると、自立した生活が出来るようにと、専門家のいる施設に入所することになる。 しかし、そこは人生の終着駅ではない。御国に向かう道にあるサービスエリア。そのエリアに入るのは休憩やトイレを使う為だけでなく、様々にリフレッシュする目的がある。それはそこから先をドライブする為。その先に目的地がある。自分に必要な何かがあるから、そのエリアに入り、自分をリフレッシュしている。

 特別養護老人ホームには入るのも必要があるから。どんなものでも長期間使うと様々な損傷が出来る。肉体も同じ。出来ない事が多くなるのは仕方がないこと。しかし、自分には何もできないと思い、自分の人生を諦めてしまう必要は無い。

 8節で主は「わたしの思いは、あなたがたの思いとは異なり、あなたがたの道は、わたしの道とは異なるからだ。天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道より高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い」と言う。私達は自分の思いに囚われるから、先の事が不安になり、諦め、無気力にもなる。しかし聖書は、人が自分を見る目と神がその人を見る目は違うと教える。主は弟子達に「それは人にはできないことです。しかし、神は違います。神にはどんなことでもできるのです(マルコ:)」と言った。私達にとって必要なのは、自分にはできないと思うことを神はさせて下さると信じること。神は主イエスを信じる者の父なる神。私達を愛し、常に支えていて下さるから。 この神を信じるので、私達は未来を信じられる。未来はまだ来ていないこと。まだ来ていないことだがら、自分が将来どうなるの、自分に何ができるだろうかと不安になるのは当然のこと。

 しかし、イザヤと同じ預言者エレミヤも主の言葉をこう記している。エレミヤ29::11「わたし自身、あなたがたの為に立てている計画をよく知ってる。…主のことば…それはわざわいではなく、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるものだ」と。私達には正に来たらんとしている将来がある。望み得ないのに望みうる希望がある。それらが有ると言われても、自分には信じられない。それが確かに有ると言うなら証拠を見せろと言う人がいる。これは信じるしかないとしか言えないことだが、実はその証拠は、主に期待し、望み得ないのに望み、その願いが叶えられている私達自身。世の人はそんなのは信じられない、事実そうだったとしても偶然さと言う。

 確かに人は様々な事を他人に期待して生きているが、変わり易い人の心に翻弄されることも多い。しかし私達は知る。主は変わりなく私を愛し、必要な時に必要なものを与え続けている。主は「わたしの口から出るわたしのことばは。私が望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる」。私達にはこの約束が与えられている。その主に期待すれば良い。主イエスは言う。「求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです(ヨハネ16:24)」と。主に期待しよう。私達には充実感に満ちた将来の人生が約束されている。その道を歩む為に主に期待しよう。