メッセージ(大谷孝志師)
救われた喜びを伝えよう
向島キリスト教会 礼拝説教 2023年12月31日
ルカ2:8-20「救われた喜びを伝えよう」 牧師 大谷 孝志

  今から二千年程前のある夜、ユダヤのベツレヘム近くで、野宿しながら羊の群れの夜番をしていた羊飼い達に、主の使いが救い主誕生を知らせる為に来ました。羊飼い達は非常に恐れました。主の栄光が彼らの周りを照らしたからです。私達に同じ事が起きたらどんな反応をするでしょうか。

 彼らが恐れたのは自分達が神の近くにいると感じたからです。マタイ1:23に「『その名(イエス)はインマヌエルと呼ばれる』それは、訳すと『神は我々と共におられる』という意味である」とあります。主イエスが生まれたことは全知全能の神が私達と共にいるという驚くべきことなのです。

 主イエスを救い主と信じる者は、自分には神が共にいると信じています。この教会にも信じている人々が大勢います。でも、この羊飼い達のように非常に恐れてはいません。主イエスの誕生をお祝いし、神が共にいるようになったことを喜び、感謝しているからです。彼らが主の栄光が周りを照らしたことで非常に恐れたのは、自分達の為に救い主が生まれたことを知らなかったからです。まだ心が闇だったからです。主イエスを信じるなら、その人は救われているので、神が自分と共にいると知っています。ですから、それが素晴らしい事と知っています。彼らが見て恐れたように、主の栄光は目には見えません。でもその見えない光を感じられ、喜んでいます。

 御使いは「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます」と、もう神を恐れなくても良いと教えました。神は人を滅ぼしたり、危害を加える敵のような存在ではなく、恵みと平安を与え、安心できる最大の味方なのですと教えたのです。しかし、その最大の味方が「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている嬰児(みどり子)」、生まれたばかりの赤ちゃんが救い主なのです。しかも、この赤ちゃんの誕生を知っても、周囲の人々はこの親子に泊まる場所を提供しなかったのです。どこから見てもこの子が救い主だと思えなかったからです。

 しかしこの御告げの後、突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を讃美しました。救い主の誕生が全ての人にとってどんなに素晴らしいことかを、羊飼い達に知らせたのです。神が共にいると分かった彼らは、最初の時のような驚きはありませんでした。彼らの心は救い主誕生の知らせを聴き、驚きと共に非常な喜びで満たされていたからです。そして御使い達が離れて天に帰ると、彼らは「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせて下さったこの出来事を見届けて来よう」と話し合いました。そして急いで出かけたのです。この「急いで」という言葉に、「民全体に与えられる大きな喜び」を、主の使いから先ず自分達が知らされた、との躍り上がるような羊飼い達の気持ちが表されています。

 羊飼い達は「急いで行って、マリアとヨセフと、飼い葉桶に寝ている嬰児を捜し当て」、自分達が見聞きした事をそこにいた人々に知らせました。彼らは御使いがこの嬰児が主キリストと知らせたと聞いて驚きました。しかしマリアは、受胎告知の時のように、それらの事を心に納めて静かに思い巡らしていました。良き信仰者の姿がここにあります。見聞きした事が全て御使いの話しの通りだったと、救い主の誕生を喜び、神を崇め、讃美しながら帰った羊飼い達にも、喜びに満ちた信仰者の姿が表されています。

 さて羊飼い達は夜、羊の群れの番をしていました。夜は盗賊や獣に襲撃される危険がありました。闇がそれらの姿を隠すからです。しかし主の御使いが救い主誕生を知らせる為に来て、主の栄光が彼らの周りを照らすと彼らの心の闇は消え、光が満ちました。彼らは自分達が光に照される中で、驚くべき事実、人は神と共にいても大丈夫になったと知らされたからです。

 私達も救い主が誕生し、今この世にいると知っています。しかし世の多くの人は羊飼い達のように、自分の為に救い主が生まれたことを知りません。私達が救い主誕生を、救い主が今いると知らせるなら、世の人々を照らす光となれます。しかし、御使いの光はいつ迄も彼らと共にある訳ではなく、御使いが離れ去ると光は消えたように、私達が照らす光だけでは駄目なのです。ベツレヘムの人々が羊飼い達から話を聞いても、ただ驚いただけなように、私達の思い込みとしか思えないからです。羊飼い達にとって布にくるまって飼い葉桶の中に寝かされている嬰児が、自分達の為に生まれた救い主と知ったように、世の人が教会に来て「あなたの為に生まれた救い主がいますよ」と知らされ、主イエスを捜し当て、主と出会い、主が自分の救い主と知ることによって、主を信じることができるからです。

 世の人々に主イエスの話をしただけでは、私達の内にある「救われた喜び」までは伝わらないのは確かです。私も初めは教会の人達は何でこんなに喜んでいるのかと不思議に思いました。でも、不思議に思うことが救われる喜びを味わう為の第一歩だったのです。羊飼い達が自分の目で救い主誕生を確かめたいと思ったように、教会の人をこんなに喜ばせる救い主に自分も会いたいと思う気持を持つ切っ掛けになったからです。町の人々の無反応を問題にせず、羊飼い達が神を崇め、讃美しながら帰って行ったように、自分の為に救い主が生まれた喜びで心を一杯にして、世の人々に、自分が救われた喜びを伝えれば良いのです。人々の心の中が闇から光に換わる時がいつか来ます。私達の心にある主の光が相手を照らしているからです。ある牧師が「心を明るくする為に暗さをポンプで吸い出す人がいるだろうか。ただ光を灯せばよい」と言いました。この世の人々に「主イエスを信じ、心に光を灯せば、心に光が輝き明るくなるので、将来や人に恐れを感じず、希望を持ち、安心して日々を過ごせます」と知らせましょう。