メッセージ(大谷孝志師)
「私達はキリストのもの」
向島キリスト教会 元旦 礼拝説教 2024年1月1日
コリント人への手紙 第一3章18-23節「「私達はキリストのもの」」

新年を迎えた。向上心を持つ人、現状に不満を持つ人は、昨年と違う自分として生きられたらと思うが、相手があるだけに簡単にはいかない。気の持ちよう」という言葉がある。人は誰も心の中に自分の世界を持つ。その中では自分は自由に何でもできる。パウロの言葉「萬の物は汝らの有なればなり(21)節文語訳」に通じる。限界が有り、自分にはできない分からないと思うものは確かにある。だが人は生きる上で「誇り」が必要。自分が必要とされていると思うと生きる意欲が強くなる。だからと言って全てが自由になる訳ではない。現実には学校、職場、家庭でもままならない。彼は「誇るな」と言うが、人が生きていく為には「誇り」は大切。自惚れはまずいが、自分が生きる意味を見失い、他人や社会に自分は必要ないと思うと辛い。

 パウロは、真の自由、解放された心で生きる道があると教える。自分がこの世で知者だと思うなら、本当の知者となる為、愚者になれと言う。多くの人は自分は知者では無いと言っても愚者と公言はしない。惨めになるから。人や社会に自分は有用な存在と認められたいと思うから。しかし人の評価は移ろい易い。人に頼ると裏切られ、その場その時で、価値観も有用無用の基準も変わる。また、自分が自分を誇る以上に相手も自分を誇りたい。相手の立場に立って考え、相手の心に寄り添って考えるのは正直言って難しい。自分が熟慮し、正しい方向を見付け、それを人に言ってみても、予想と違う方向に進んだり、真逆の結論が出ることすらある。

 彼は、それらは将来への不安や人への恐れから来ると知る。人は全力を尽くし、誠実に一所懸命にすれば期待通りの結果になると願うが、確信は持てない。何が起きるか分からないから。だが「パウロであれ…すべてはあなたがたのもの」と彼は言う。私達は不安や恐れは不要の世界にいる。但し、全ては自分のものと思っても真の自由で解放された心に成れるではない。それだけでは心は闇のまま。自分が「キリストのもの」と知ることが必要。人の思いは変わる。だが「イエス…変わることのない方(ヘブライ13:8)」。聖書を読み、祈り、主との霊的交わりを大切にし、主の生き方に目を留めよう。主は私達を愛し、しっかり支える。「人がわたしに留まり…多くの実を結ぶ(ヨハネ15:5)」とあるように、主にしっかり繋がっていれば良い。主は神のもの。だから、神は主を通して必要な時に必要なものを与える。この一年「世界であれ…神のもの」と信じて生きよう、私達が焦燥、焦慮から解放され、真に自由に生きる者となれるから。

(焦燥:何か理由や目的があって、その為に何とかしなければならないと焦ること)
(焦慮:心配や焦りから気を揉むことで、外に現れにくい心の状態)