メッセージ(大谷孝志師)
結果と経過に囚われない
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2024年1月7日
ローマ8:26-28「結果と経過に囚われない」 牧師 大谷 孝志

 ≪終わり良ければ全て良し≫、≪勝てば官軍≫という言葉があるが、人生は結果が良ければそれで良いと言うものではない。経過も結果も大切。試験の結果が悪くてもその過程で努力したことは決して無駄にはならないから。人生は積み重ね。様々の思いが自分の内に蓄積されて今の自分が。例えば「あの人との出会いがあったから」「あの話を聞けたから」とか「あの人をあの時傷付けていなかったら」「あの話をしなかったら」といった+、−の過去があり、その経験をしたからこその自分しか歩めない人生を誰もが歩んでいる。私も様々な事が脳裏に浮かんでは通り過ぎる。ここでの七年はどうだったのかと考えた時、結果で自分を評価している自分に気付いた。誰がバプテスマを受けたとか、誰が来て転入会し、定着したとか、誰が来なくなったかと。その一つ一つの結果には重いものが有るが、全ては私の人生の一部、教会の歴史の一頁、主の働きの一部に過ぎない。そして、この教会の一人一人と私が関わるの中、一人一人が私と関わる中でなければ経験できない事を通して、主が私達を成長させ、変化させている経過であり結果。

 パウロの言葉は私達に大きな慰めを与える。私達は弱い。祈っても祈っても何も変わらない時、何をどう祈ったらよいか分からなくなる。パウロのような素晴らしい伝道者でも自分は弱いと言う。何故あのような働きができたのか。弱い私達を御霊が助けてくれたからと彼は言う。私達はパウロとは比べものにならないくらい弱い存在。私も約七年間、鈍く、弱く、ミスも犯した。そんな私が牧師でいられたのは、御霊が弱い私を助けてくれたからと教えられた。これは勿論、私だけのことではない。皆同じ。数年、或いは数十年この教会に連なっていられたのも弱い自分達を御霊が助けてくれたから。しかしパウロは更に大きな慰めがあると教える。神が計画を立て、護り導き、行わせた結果が今ということ。

 エレミヤ29:11に「あなたがたの為に立てた計画をよく知っている。それはわざわいではなく、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与える計画」とある。この時、イスラエルは自分達が犯した罪により絶望の渕という結果に立たされていた。しかし、今の苦境も救いの計画の一部と主は教えた。人は結果に目を留め、その結果をもたらした経過を見、その経過と結果から将来を判断する。良ければそのまま生きよう、悪ければ別の道を歩もうとする。しかし主は立ち止まれと命じる。今の結果は主の計画が実現しつつあるその経過の結果と信じるなら、希望を持ち、将来に向かって安心して歩み始められる。自分や人の弱さは見えても主の計画は目に見えない。だからパウロは言う「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ」と。私達の人生の経過と結果は、主が私達の為に立てた計画に従って与えられているものと信じよう。私達は神を愛し、神の計画によって神の民に召されて今を生きている。神はその私達の為には、全てのことが私達にとって益となるようにするとパウロは教える。パウロも初めはその事が分からなかった。しかし復活の主イエスと出会い、語り掛けられ、大きく変えられた。自分が置かれている状況がどう見えようと、こうなるだろうと考えても、全ては御旨であり、御旨のままに経過と結果が与えられると信じた。だから全てを主に委ねて、福音を宣べ伝え続けた。私達も自分が置かれている状況は、主の御旨と信じ、主の自分達の為に立てた計画に従って全てが行われていると信じ、経過や結果に右往左往せず、主が実を豊かに実を結ばせると信じて生きよう。