メッセージ(大谷孝志師)
人は自由意志で共に生きている
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2024年1月28日
ローマ16:1-4「人は自由意志で共に生きている」 牧師 大谷 孝志

 幼子は親の保護を必要とする。外に出た時も親の手をしっかり握って離さない。本能的に親が外敵から自分をも守ると知るから。また、3歳前後から、一人遊びから集団遊び、模倣遊びに変わり、友達を作ろうとする。安全であり、様々な学習をする為に集団の一員であることが必要だから。成長するに従い、親よりも友達や他人と親しくなり、親を敬遠するようになる場合も。これは自我の確立、固有の人格形成の為に必要な段階。この時期に子離れ、親離れができないと、極端な場合、大人になっても、電車の切符が買えない。皮のまま出されたバナナなどが食べられないなど、自立できない人になってしまう。カウンセリングを受けに来る日との中には大学一年生や社会人一年生が親に付き添われて来るケースが多いと聞いたことがある。知識はあっても常識が無い。また、自分の考えを皆が理解し、皆が自分と同じ様に考えていると思い込んでしまっている人がいれば、言われた事しかしない、言われないとしないとしない人も多いのではと私は感じる。

 さてパウロはロ−マ人への手紙を終えるにあたり、世話なった人々の名を挙げ、その人々への温かい心遣いを示している。新約聖書には彼の手紙が多くあるが、他の手紙と比べてその量が格段に多い。それはまだ、ローマの家の諸教会の人々との関係が密接ではなかったからと考えられている。少しでも多くの人と自分との関わりを示すことで、これからの自分の伝道を少しでも助けて欲しいとの思いがあったと思われる。何故そうしたのか。それは彼が、人は皆、自分の意思を持ち、自分の行動に決定権を持ち、犯すことのできない権限を持つと知るから。そして伝道は一人では出来ないことも知っていたから。だから彼は彼らの自発的助けを必要とし、それを求めた。

 確かに伝道は、伝道に使命を感じ、その為に自分を献げる伝道者によって行われる。だが伝道師や牧師だけが伝道者なのではない。私達バプテストは、万人祭司、万人預言者、万人伝道者。とは言え、伝道を第一と考えている人の中に、本音は仕事第一、家族第一の人もいる。だがその中で、どれだけ伝道し、教会に託された働きに参加するかは、その人の自由意志に任されている。しかし教会という人の群れが成長していく為には、各々の自由を、伝道の為、主の為に使い、各々の自由意志で互いに助け合い、支え合うことが必要。

 私達は自由な意思で、助けたり助けられたりしている。でも親に仕えることを教えられず、親が子に仕えるケースすら見られる。仕えられ、して貰うのが当然と育つ子は、大人になって仕えなければならない時、他人がしてくれない場合に、大きな抵抗や混乱が生じる。自分一人で生きているのでなく、互いに助け合って生きていると分かっていないから。パウロがここで、多くの人に感謝しているのは、一人で生きているのでも、伝道しているのではないと分かっていたから。

 親や教師や友人たちから、自由意志で親身になって助けられていると自覚することは本当に大切。周囲の人が自分の助けを必要としている時に気付けるから。私達はロボットでも人の奴隷でもない。自分の自由意志で行動している。主は私達が自由意志で主に仕える者、主を助ける者、互いに仕え合う者なること願っている。主はご自分の自由意志で、私達の全ての罪を引き受けて十字架にか掛かって死んだ。そして、私達を自由意志で互いに助け合って共に生きる者とした。主も自由意志で私達と共に生きている。自分が一人で生きている者ではないとされていることの重さを主に感謝して、他の人と共に、主と共に生きる者となろう。