メッセージ(大谷孝志師)
艱難汝を玉にす
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2024年2月4日
ローマ 5:1-5「艱難汝を玉にす」 牧師 大谷 孝志

 人間は、順調の時より、逆境の時に本当の姿が現れると言う。人は一人で生きているのではない。周囲の人々との関わりの中で生きている。順調の時はどうかと言えば、家族や友人、学校の先生、職場の上司や同僚といった人達が自分に対して好意的になる。多少のミスを犯しても、仕方がない、今度気を付けなさいと言うくらいで見逃しがしてくれもする。しかし逆境の時は、自分のする事が裏目裏目に出たり、そのミスを切っ掛けに、過去の自分のミスがほじくり出されたりして、やりきれなくなることも有る。しかし考えてみると、逆境の時の方が、自分自身がよく分かるのではないか。順調の時は何かと相手に甘えていられる。自分を相手や自分自身に誤魔化し、素の自分を見るより、周囲の人の自分の見方、評価が気になっているので、本当の自分が見えていない。しかし、逆境の時は相手に甘えていられないから、自分自身をよく見て、精一杯努力して、本当の自分を相手に認めさせなければと思う。そこに成長、向上の要素が生まれる切っ掛けになる。

 箴言27:17に「鉄は鉄によって研がれ、人はその友によって研がれる」と有る。人は相手との関わりの中で人として磨かれていく。逆境の時はつい相手を非難したり、自分を卑下したりして、関わりを避けてしまうことがある。しかし、相手の言葉が辛辣に思えたとしても、率直に言ってくれたのは、その人が自分を友と思うからこそしてくれたと感謝して受け取るくらいのことが必要と教えられる。

 人はこの世に生きる限り、辛い事、苦しい事は避けられない。しかし、それらを将来の自分にとって必要な事だからこそ今与えられていると気付くことが大切。

 昔、母が良く「鉄は熱いうちに打て」「若い時の苦労は買ってでもしろ」と教えた。艱難汝を玉にすだよと。人間は他の被造物とは違い、様々な能力を神に与えられている。しかし、それが引き出されなければ、持っていないのと同じ。今、社会を見ても、苦労するのは嫌だ。楽して金儲けをしたがる風潮がある。また、子供に苦労させたくないからと、良い幼稚園、良い小学校から大学に入れるようにするのが親の務めだと考える人もいる。しかし「可愛い子には旅をさせよ」と言う。厳しい経験を積むほど子は成長する。だから、可愛い子ほど敢えて辛い思いをさせよという意味。昔の旅は辛いものだったことから来た言葉。昔の人は経験から、人は、苦しんで、悩んで成長するもの、その中で本当の自分を見出していくものだと知っていた。パウロも、自分が今、神の栄光にあずかる望みを抱いて喜んで生きれいられるのは、自分が様々な苦難にあったからだと、苦難にあったことを喜んでいる。

 彼は、自分という人間を本当の意味で知っていた。とは言え、苦難は苦しい事、厭な事、できたら、味わいたくない事。彼にしても、苦難を喜んで自分が選び取ったのではないと思う。福音宣教の歩みの中で自分に降りかかってきたものだった。では何故、喜べたのか。彼には理由が分かっていたから。この世界を造り、全てを支配している神が、それを自分の為、自分が接する人の為に与えたと知るから。それに自分の弱さを知っているから。苦難を経験することにより自分が変えられ、忍耐強くなり、物事に正しく対応する資質が身に付き、将来に希望をもって生きる者になれると知った。それが、主の証人として世に生きる自分に必要と彼は悟った。神は私達にも時として苦難を与える。その時、「艱難汝を玉にす」と信じ、苦難により自分が研がれ、主に相応しい者、喜んで主と共に生きるものとなる為に主が与えた恵みと感謝し、喜んで前を向いて生きよう。